1988/1
No.19
1. 騒音の環境問題 2. 騒音環境基準の設定経過 3. 骨董品に見る音響学 4.レイリー・ディスクと石英の糸 5. カスタム挿耳形補聴器 6. インターノイズ’87
       <会議報告>  インターノイズ'87  中国の旅 雑感  北 京 編  安西紀行  上海を訪れて
 インターノイズ'87

 インターノイズ'87は9月15〜17日に北京市昆倫ホテルに於て行なわれた。IN'84が、日米合同という形でハワイで行なわれたが、アジアの国が主催で開催されたのは仙台のIN'75以来のことである。年々発表件数が増大し、参加者も増加している。プログラムからみると433件の発表が29ヶ国から出ている。参加者の半数以上は中国であるが、日本からは同伴者を含め93名の参加があり、研究所からも五十嵐理事長以下7名が参加した。

 欧米諸国からの参加は、欧米で行なわれる場合に比べて少なかったが、国際騒音制御工学会会長であるProf. Ingerslevをはじめ、各国のなじみのある主だった顔ぶれが揃い、盛大な会合になった。

 中国では中国声学学会と中国科学院声学研究所が実行委員会を組織し、Prof. Maa委員長を中心に全国的規模で音響関係の研究者や技術者を動員したようである。開会間際になって会場やホテルの変更があったりして、準備の苦労を窺がわせる点が散見されたが、ほぼスムーズに進行したように思う。最終日には北京飯店の大広間で、600名を越す参会者の晩餐会が催うされ、会議の最後を盛り上げたのが印象的であった。

 また、会議のあと時田ら5名は西安、上海を巡り、学術交流と共に中国の歴史にふれる機会を得た。感銘を深めた者も多かったと思う。欧米の人達も中国のツアーに多数参加されていたが、歴史を見て得る感慨は日本人が受けるものとは大分違うのでないかと推察した。隣国でありながら、また同じ漢字(中国式略字にはとまどう)を使っていながら、中国語で話が出来ないのが本当に残念であった。

   (時田保夫)

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 中国の旅 雑感

山田一郎

 9月に北京で開かれたインターノイズ'87に参加した。Ffowcs Williamsの能動制御に関する特別講演で始まった会議は発表の開始と終了を告げる軽快なメロディに乗って終始なごやかな雰囲気のうちに無事、3日間の日程が終了した。航空機や鉄道に関する幾つかの発表、衝撃音測定の話、SEA法を応用して列車の車輪の欠陥を調べる話などが面白かった。詳細は音響学会の騒音研究会の会議報告を見て頂きたい。

 ところで、数年前のインターノイズで北京最大の騒音公害は行き交う車の警笛であるという発表を聞いたが、今秋訪れた北京の街角はいたる所に警笛禁止の表示があり、その面影はなかった。しかし、西安に行ってけたたましく鳴り響く警笛音を聞き“これはやっぱり公害だ”と変に納得した。北京では早朝にホテル周辺を散歩した。老人たちが両手に鳥かごを3つ、4つとブラさげて集まり、鳴き声を競わせていたが、かわたれ時の街角で大きくさえずる鳥の鳴き声は妙に印象に残った。北京に来た人が皆訪れる万里の長城は1里=0.5公里(km)として3〜4,000kmも連なるが、要衝の石畳を歩みつつ歴史に万感の思いを馳せている時に嶺々にこだましてドーンドーンと聞こえてきた低い衝撃音は紛れもなく富士の裾野で聞いた大砲の砲撃音であった。北京から西安へはソ連製のジェット旅客機で移動した。はるか随、唐の昔から中国の都であった長安へと高度を下げて行く航空機が密集した家屋の軒先をかすめるように進入していくのを見て大阪空港を連想し驚いた。

 西安(映画師範大学、西北工業大学)と上海(同済大学)で計3つの大学を訪れ、施設の見学等をさせて頂いた。2番目の西北工業大学ではエレクトロニクス、航空等の研究が盛んとのことで、少しでも飛行機に関係がある話がよかろうと、小生が日本の航空機騒音の予測について話をさせて頂いた。ぶっつけ本番でお粗末なスピーチしかできなかったのに最後まで熱心に聞いて下さった同大学の諸氏と通訳をして下さった清華大学の王先生に心から感謝を捧げて結びとする。

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 北 京 編

木村和則

 INTER NOISE'87の会場である昆倫飯店は、日本でいえば、ホテルニューオータニを思わせる外観である。しかし、このホテルは、開業して1年以上経過しているのにホテルのシンボルである最上階は内装工事中(封鎖中?)とのことである。ホテル周辺は、新しく開発が進んでいる地域であり、いたる所工事中であった。ホテルの部屋から眼下を見おろすと、そこは我々が理解することのできる中国があった。竹で編んだ籠、リヤカー、馬を動力とする荷車を使って資材運びをしている道路工事現場が見えた。しかし、少し遠くに目を移すと、基礎を打っているパイルハンマーが早朝から深夜までけたたましい音を立てて広大な建設現場の中で作業していた。

 北京の代表的観光地である「故宮」に旅行初日の空き時間を利用して単独行動をした。「故宮」に着くと、切符売場は長蛇の列である。何もわからないまま切符を買うことができたが、他の人とはまったく違う豪華カラー印刷の入場券を売ってくれた。他の人々は、日本の映画の入場券の粗悪品らしきものを買って入場していた。後で聞くところによると、外国人は5元(日本円で約200円)地元中国人は50銭とのことであり、何もいわずにただお金をだして外人用の切符を買うことが出来たのは、切符を売る係の人の言っている中国語がまったく理解できなかったためであろう。城域は、南北960m、東西750mあり、ここを見てから後日、万里の長城に行ったが素直にその大きさが理解できるほど壮大な建物群であった。建物も壮大であるが、入場している人も多く、さしずめディズニーランド的混雑度であり、交通機関がそれ程充実しているとは思えない中国でどこからこれほどの人が集まってくるのかは理解できない。

 インターノイズで最も印象的であったのは、ダンピングに関する会場でのことであった。その会場は、椅子が30席程度の小さな会場である。参加者は、ほとんど中国人であり、外国人は座長とその仲間が2名および日本人1名(著者)だけである。ある中国人のおぼつかない英語の発表がおわり、参加者の質問が無いために座長が質問を行うと、6、7名の参加者が突然中国語で翻訳をはじめた。これには、座長もびっくりして、誰か一人が代表で翻訳して欲しいと述べ、中国人側の座長が代表して翻訳していた。仲間内であれ、質問の内容を少しでも発表者に伝えようとする積極性には感動した。

 INTER NOISEの11日間の中国の旅の中で特に感じたことは、共稼ぎが多いということもあるだろうが女性の強靱さである。それに引き替え、男性は温和な顔をしていた。その理由を理解するには11日間の旅では無理であった。

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 西安紀行

田矢晃一

 インターノイズ会場の北京を発ち、空路で二時間程を要して、我々は次なる目的地、西安を訪問した。到着して最初に驚ろかされた物は「城壁」であった。城壁と云うよりは城そのものである。万里の長城の数倍の大きさの壁が西安を正確に矩形に取り囲んでいる。現代中国においてはこのような城壁は交通の妨げになることからほとんどの都市では取り払われているのに対し、西安だけはこの歴史と文化の象徴を積極的に守り、現在急ピッチで修復がなされている。来年度には修復工事も完了し、城壁の上を歩いて西安を一周できるようになるそうだ。

 西安では、陝西省科学技術協会のリーさんがガイドを勤めてくれ、秦の始皇帝陵、華清池、兵馬偏、半坡遺跡、碑林、大雁塔、小雁塔等を案内してくれた。リーさんは歴史学者でもあることから行く先々で詳しい説明をして頂き、我々は通常の観光旅行では味わえない「長安」三千年の歴史を垣間見ることができた。

 翌日は陝西師範大学と西北工業大学を訪問した。陝西師範大学は文字通り師範を育くむ大学であり、また中国では成績順に派遣される場所も決るとあって、キャンパスに見え隠れする学生達は何れも真顔で勉学に勤しんでいた。西北工業大学では各研究室を拝見した。特にここでは超声(超音波)の研究が盛んに行われており、超音波用無響箱、音響レンズ、超音波メス、超音波針等、基礎から応用まで幅広い研究が行われていた。また中日噪声技術交流会が催され、日本側からは城戸先生が日本の大学の音響学の概要について、また当所の山田氏は日本の航空機騒音の測定と評価の方法について紹介した。これに答えて西北工業大学からは学院生の明端森氏が騒音振動制御に関する研究成果と今後のテーマについて英語で講演し、日中双方から万来の拍手を浴びた。

 西安を発つ日の朝、ホテル前を散策していると、北京飯店でのバンケットからの帰りのバスで偶然隣り合わせたペンシルバニア大学のHAYEK氏がジョギングをしていた。「Morning!」を交わしたとき、インターノイズに出席できた喜びを改めて味わうことができた。

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 上海を訪れて

大島俊也

INTER NOISEの開催地である北京、城壁で囲まれた歴史の町西安を経て我々は最終目的地である上海に着きました。そこには何千年もの歴史を誇る古い都の趣とはまったく別のエネルギッシュな人間の息吹が感じられました。人いきれでむっとするような雑踏は他の町より強力で圧倒されるばかりでしたが、西安で聞いたあのけたたましく驚く警笛合戦はほとんどなく、街づくりのための騒音規制が人々によく浸透しているのが感じられました。二人が肩を並べて佇むのに程よい高さの港の堤防には恋人達がすずなりになって、時々思い出したように響く汽笛に耳を傾けていました。あちこちで建設工事の杭打ちの音が聞こえる北京や警笛で溢れるような西安の町と比較すると上海の“町の音”はずっと“お酒落”だなと感じました。

 さて、ここ上海を訪れた第一の目的である同済大学・声学研究所との交流会についてお話しします。同済大学は創立から80年の歴史を持つ総合大学で留学生も多く見受けられました。声学研究所は教授・副教授合わせて12名を有し“超声学”、“噪声控制及建筑声学”等、4つの研究室から構成されています。“建筑声学”の王先生の案内で残響室や無響室を見学しました。容積268m3の残響室の壁面は半円柱や半球状の流体的な形の組み合わせで構成され視覚的にも興味を引くものでした。また、無響室は16m×11.4m、高さ6.6mと広々としており、壁面は少々造りの粗いくさび形のロックウールでしたが、王先生は盛んにコストパフォーマンスの良さを強調されていました。ところで、同済大学との交流会があったこの日、我々は思いも掛けず貴重な体験をすることになりました。この日、上海は位置的に金環日食の観測地として最適だったのです。同済大学に向かう途中、既に太陽は欠け始め、三日月の形をしておりました。木洩れ日は全部太陽と同じ三日月形をしてゆらゆら揺らぎ、開いた手の影を地面に映すと指と指の間にもう一本小さな指のある歪な形をしていました。王先生の計らいで金環食になる少し前から交流会を中断して日食観測会となりました。皆が固睡をのんで見まもる中、太陽はみごとなリング状になりました。辺りは夕方の暗さというよりは古い写真のようなセピア色で独特の雰囲気がありました。中国の旅は学会や中国の各大学との交流会を通して良い意味の刺激となりました。特に中国の学生達の勤勉さと熱心な目なざしには驚かされました。

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