<骨董品シリーズ その33>
1999/4
No.641. 20世紀と環境 2. 表面保護をした多孔質材料の吸音特性 3. 磁気録音機の元祖 ワイヤーレコーダ
6. サーボ加速度センサ LS-10シリーズ
磁気録音機の元祖 ワイヤーレコーダ理事長 山 下 充 康
旅に出るときカメラと一緒に小型の録音機を鞄に入れる。録音機で収集した音のアルバムは写真とは一味違った趣が感じられて、旅の良い記念になる。長らくカセット式の小型テープレコーダを持ち歩いていたが、最近では携帯型MDを愛用している。
音を記録するのに磁気媒体を利用する技術が開発されたのは今から100年程前の1888年、エジソンが蝋管式蓄音機(1990年1月号・No.27)を発明してから約10年後のことである。アメリカのO.Smithが磁性体の帯を使って音声信号の収録と再生の原理を発表したのが1888年、これを受けて1898年にはデンマークの発明家のV.Paulsenがスチールのピアノ線を用いた録音再生装置を製作している。いわゆるワイヤーレコーダと呼ばれる録音再生機である。太平洋戦争中に米軍が日本軍の無線交信を傍受して暗号解読をする際にワイヤーレコーダを用いたと聞いたことがあるが、ワイヤーレコーダの実物を目にしたことはなかった。何とかしてこれを手に入れたいものと念じていたところであるが、とある機会からアメリカの某篤志家(Mr.Peppin:INCE/U.S.A関係役員)から今回紹介する骨董品が送られてきた。
樹脂製のグリップが付けられた木製のキャビネットで幅42cm、奥行28cm、厚さ20cm。Montgomery Ward社のプレートが貼付されているが厳密な製作年は不明(内部の真空管などの電気回路の部品から想像すると1930年代後半?)。 保存環境が良くなかったらしく内部の機械部分には錆が浮いているが欠損部品は無さそうなのでいずれ手入れをするつもりでいる。今回の骨董品シリーズではとりあえず現状のままでこの珍品を紹介することにする。
写真1は上蓋を取った本体パネル部分で、指差している目盛りのある円形ダイヤルは回転部分の速度調整用、その下の白く見えるラベルの貼られた円盤は録音ワイヤーが巻かれているリールである。このリールはアルミのビスで回転軸に固定されている。左側の黒く見える大きなリールは巻き取り用ドラムで、ワイヤーは右側の小さなリールからヘッド部を経て左側の大径のドラムに巻き取られる仕組みになっている。
写真1 ワイヤーレコーダ本体パネル外観
(指差している部分は回転速度調整ダイアル)ヘッド部はワイヤーがリールに整然と巻き取られるように回転と同期して微妙に上下を繰り返すような構造になっている。
本体パネルの右に操作部分が集中して配置され(写真2参照)、右からON-OFFと録音レベル調整用ツマミ(左に回しきるとOFFになる)、中央が録音・再生の切り替えや巻き戻しなどの操作スイッチ、左端は録音レベル監視用のインジケーターランプである。入力が大きすぎるとこれが点灯する。下側に見える二つの小さなスライドスイッチは片方が音質選択用(3段階に設定できる)、他方は出力切り替え用で内蔵のスピーカと外付けスピーカとを個別に使用できる機能が備わっている。
写真2 本体パネル面に位置する操作部分 これらの操作ツマミは黒いエボナイト製であるが表面にカビのような膜が付着しているので白く変色して見える。
写真3はリールに巻かれた録音用のステンレススチールワイヤーで太さは約0.1mm、ワイヤーの先頭は長さ20cm程の透明の樹脂で造られたリーダーリボンに固定されていて巻き取りドラムに装填しやすいように工夫されている。リールのラベルには「60min」と記されているから一時間用であろう
写真3 リールに巻かれたステンレススチールワイヤー
(直径約0.1mm。先端はリーダーリボンに固定されている)写真4は裏蓋を取り外して内部を覗いたところである。 内部の大部分を占めているのは大きなモータと一連のゴムローラを中心とした機械駆動部で、GT管の並んだ電気回路部はアルミのシャーシにまとめられてキャビネットの片隅に木ネジで止められている。
写真4 裏蓋側から観た内部の様子
(冷却用ファン付きのモーターとゴムローラが
大部分を占める。奥が真空管式増幅器部分)駆動部の制御には電磁リレーとワイヤーケーブルが使われていて、本体パネルのスイッチによって操作することができる。回転数の調整や複雑に組み合わされたゴムローラの離合のメカニズムに見られる工夫には舌を巻かされる。
真空管や電磁リレーやモータなどの熱は相当のものであるらしく、これを処理するためにモータの軸にアルミ製の冷却用送風ファンが取りつけられ、さらにキャビネットの底面と側面のいたるところに通風用の大きな窓が開けられていてパンチングメタルで塞がれている。
1935年にはスチールワイヤーに替えてドイツのテレフンケンとI.G.ファルベン社がバスフ社のプラスチックベースに磁気酸化鉄をコーティングしたテープを開発してマグネットフォンを商品化、これが今日のテープレコーダの原型となった。
1962年にオランダのフィリップス社がコンパクトカセットシステムを開発、トランジスタ技術の発達と相俟ってこれが近年のカセットレコーダに継承されてきたわけである。
当研究所に一台の計測仕様のテープレコーダ(日本製:1962年製)がある。コンサートホールの残響時間や伝送特性の測定に活躍した。今でも問題無く稼働する。録音/再生ヘッドとテープを駆動する機械的な部分と真空管式電気回路部分との二つから構成されている。二つのモータを内蔵しているので機械部分の重さは半端なものではない。電気回路部も堅牢なシャーシにトランスやスピーカや真空管が隙間無く組み込まれているから軽くはない。これを担いで階段を昇り降りした現場測定の苦労を懐かしく思い出す。
今日では録音機も超小型になり、ビデオカメラさえも手のひらサイズのものが普及してきたので音と映像の記録に昔のように苦労させられることはなくなった。近年、音声をディジタル信号化してフラッシュメモリーカードに記録する携帯録音機が市販されている。ワイヤーレコーダの発明から70〜80年の間に録音技術は随分と進歩したものである。
古典落語「堪忍袋」:小さな袋を縫い上げて長屋の連中が愚痴、ぼやき、苦情、小言、不平、不満をこの袋「堪忍袋」にしゃべり込む。おかげで無駄ないさかいが無くなって平和な長屋生活が維持されることになるが、ある日のこと袋の取り合いで袋が綻び、中味がそこいらじゅうにぶちまけられて大騒ぎ。
堪忍袋は録音機ということになる。便利な録音機である。録音機ではないけれど、最近の若者たちに流行りの携帯電話の使われ方を見るに落語に登場する長屋の「堪忍袋」を思い起こす次第である。