2006/7
No.93
1. 補聴器研究室発足

2. 先端改良型遮音壁の性能評価法

3. ドイツの教育玩具(Lehrspielzeug) 4. 気中パーティクルカウンタ KC-24
   
 補聴器研究室発足

補聴器研究室 田 矢 晃 一

 平成18年4月、小林理研に補聴器研究室が発足した。室長には、本紙2006/1(No.91)で補聴器研究室の発足を表明した山下理事長が兼務就任し、室員は筆者のみの二人三脚でのスタートとなった。補聴器研究室の目標は、「人に優しい補聴器」の開発である。昭和23年に国産補聴器第一号が発表されて以来60年が経過しようとしている。この間、補聴器には様々な技術開発が施され、第一号とは似ても似つかないインテリジェントな機器に成長した。しかしながら、補聴器装用者の言によれば、まだまだ言葉の理解に苦しむ聞こえであり、完成には程遠い状態である。人間の耳の、特に蝸牛構造の如何に素晴らしいことか。人間の英知を持ってしてもこの聞こえを補償することは並大抵の努力では近づくことすら出来ない。こう考えると、補聴器研究室が何をどこまでできるのか、大変な不安が襲ってくる。

 しかしながら、小林理研には、補聴器に対する深い造詣がある。昭和23 年には文部省科学試験研究費により聾者用補聴器の研究を佐藤孝二理事長、小橋 豊室長が実施し、上記第一号補聴器に結び付けている。昭和41年には切替一郎東大教授を会長とする補聴研究会が発足し、これに対応して補聴研究室が発足している。小橋室長を中心に、岡本途也昭和大学教授、今井秀雄国立特殊教育研究所研究員、金山千代子東京教育大学付属聾学校教員が次々に加わり、補聴教育に力を注いでいる。幼児教育が母と子の教室として昭和54 年に独立した後も、岡本教授を室長として、聴能機構の解明、補聴器の両耳装用、難聴者の音声認識、自己音声の影響など多角的に研究活動を行ってきた。これらの研究成果はリオン株式会社の聴能技術部を通じて補聴器製作技術の礎となり、好ましい補聴器の開発に貢献した。

 補聴研究室から補聴器研究室へ。この“器”を挿入した意味は、難聴者の聞こえを良くするための聴覚研究に留まらず、補聴器そのものに対して、装用感、デザインなど人間工学的見地からも補聴器を見つめなおし、使いやすい補聴器を開発することを目指すという意味である。補聴器について、ユーザとメーカと販売店との情報交換を密にして、内容の一層の充実を図りたい。折しも、補聴器研究室には3名の卒業研究生が配属された。彼らの若い感性にも大いに期待している。

 山下理事長の研究室開設表明文に、「耳順」という言葉が使われている。これは、孔子の論語為政「六十而耳順」から引用されている言葉で、当所の60周年に当たる2000/1(No.67)でも巻頭言で紹介されている。六十にして耳順(みみしたが)うということから、60歳の代名詞にも用いられることがある。解釈は人様々だが、広辞苑によれば、「修養ますます進み、聞く所、理にかなえば何らの障害なく理解しうる」ということらしい。耳に入った言葉が容易に理解できる。装用者にこう言われるような「人に優しい」補聴器を夢見ている。

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