2001/4
No.721. 音を制すは人をも制す 2. 第11回ピエゾサロンの紹介 3. 砂時計式キッチンタイマー 4. ロッセル塩結晶の生い立ちと圧電気 5. オージオメータ AA-79/79S
ロッセル塩結晶の生い立ちと圧電気
名誉研究員 河 合 平 司
昭和8年3月、23歳の時、東京帝国大学物理学教授だった寺沢寛一先生から航空研究所の佐藤孝二先生に紹介され、「以後は先生のご指導のもとに勉強するように」と言われたのが佐藤先生との長いお付き合いの始まりでした。それから一年後の昭和9年、縁あって日本光学工業に入社したのですが、しばらくは工作法や図面書きなど本来なら大学の工学部で学ぶことを、給料を貰って勉強しました。そのうち光学ガラスに代表される不導体材料の圧電気現象に興味が湧きました。光学に対しての音響学です。
当時、米国にブラッシュという会社があり、マイクロホンやピックアップなど音響製品を中心に製作していましたが、この会社が圧電気材料として使っていたのがロッセル塩です。ロッセル塩は、かの有名なキューリー夫人の旦那さんが発見したものですが、その結晶はガラスの鏡面を作るために必要な材料で日本光学でもたくさん使われていました。しかし、その頃は強誘電体という名称もありませんでしたが、ロッセル塩は現存する圧電気材料の中で一番感度の良いものです。同じような材料は人間の耳に備わっているイオン透過膜くらいのものといわれています。ちなみに話は逸れますが、ロッセルとはドーバー海峡に面した港の名前で、そこはロッセル塩の結晶を輸出する港でした。
さて、日本光学では、この圧電気材料を使って日本のブラッシュとなることを目指し、昭和11〜12年頃にロッセル塩を圧電気材料として実用化する事業をスタートしました。私は日本電気に在籍していた西村雄太郎氏とともに、はじめは航空研究所の佐藤研究室でロッシェル塩結晶を培養していましたが、小林理研が設立されると西村氏とともに国分寺に移り、マイクロホンとしての研究を進めました。しかし、昭和16年に日本光学が事業の中止を決め、昭和17年には西村氏が日本電気にもどったため、私が正式に小林理研に移って研究の続きを行うこととなりました。日本のブラッシュには多難な門出ではありましたが、それをリオンの前身小林理研製作所において実用化することができました。
その後、小林理研では若い研究者たちも加わっていろいろな圧電材料の研究が発展しました。チタン酸バリウム、ジルコン酸鉛、PZTなどの圧電セラミック、種々の生体高分子などです。圧電セラミックはリオンで加速度計やライターなどに製品化されました。
小林理研60周年記念式典にて定年前の数年間、合成高分子の圧電気の研究に没頭できたのは楽しい思い出です。ポリ弗化ビニリデン、ポリ弗化ビニル、ポリ塩化ビニル、ポリカーボネイト、11、ナイロン6、ポリエチレンテレフタレート、ポリエチレン、三酢酸セルローズ、硝酸セルローズ、など入手できたすべてのフィルムを延伸したり分極したりして、手製の装置で圧電効果の有無を調べました。その結果、始めの5種類の高分子フィルムは、延伸、分極した後安定した圧電効果を示しますが、それ以外の高分子の圧電効果は時間とともに減衰することが分かりました。特に延伸、分極したポリ弗化ビニリデンのフィルムは最も大きい安定な圧電率を示すことを発見しました。その後多くの人が圧電高分子の研究を始め、ポリ弗化ビニリデンやその共重合体は強誘電体であることも分かりました。
一般に圧電率は残留分極と電歪率の積で表されますが、電歪は誘電率が圧力によって変化することです。上記の 5種類の高分子ではこの電歪率が大きく、残留分極が安定であると思われます。ポリ弗化ビニリデンの圧電率が大きいのは、構造粘性が非常に大きいためと考えています。