1992/7
No.371. 夏の音雑感 おくのほそ道 2. 作業環境の振動に関するアンケート調査 3. ふいご型緊急用信号機 4. レーザー光源パーティクルカウンターKC-21Aの開発 夏の音雑感
おくのほそ道
所 長 山 下 充 康
1.俳句に見る日本人の音感覚
風景画の中に音を描き込んだことが街道版画をして江戸時代の庶民の間で人気を呼び、大流行を巻き起こした大きな要素であったのではないかと、このニュースの新年号で述べさせていただいた。広重、北斎、英泉らが東海道五拾三次、木曽街道六拾九次、富嶽三拾六景などの街道版画を続き絵として世に送り出したのは1800年代の初めであった。これをさかのぼること約150年、一人の俳諧師が俳句による紀行文を著している。松尾芭蕉による「おくのほそ道」である。
「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。船の上に生涯を浮かべ馬の口とらへて老をむかふる者は、日々旅にして、旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。子もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、海浜にさすらヘ……」、という漢文調の名文で始まる「おくのほそ道」は、日本の古典文学の中でも比較的広く知られたポピュラーな作品の一つであろう。
今回は、街道版画から文学の世界に話題を転じて、その中に「音」を探ることを試みた。
ところで、俳句は夏に限る。
俳句には四季折々の風物が詠まれているが、どういうわけか俳句には夏が最も似合うように感じる。五・七・五の十七文字からなる短詩の簡潔さが、うだるような猛暑の中ではサッパリとした清涼感を与えてくれるから、そう感じるのだと思う。
発句の五・七・五に七・七が加わった三十一文字の和歌は、俳句に比べるとどこかしら持って回ったような雰囲気が感じられて、夏向きではない。正月の百人一首歌留多遊びや新年の歌会はじめから、そのように感じているのかもしれないが、どちらかと言うと、和歌は夏よりも冬篭りの季節に向いている。
「徒然草」の兼好法師じみてくるが、ついでに言わせていただくと、漢詩には秋が、小唄には春が似合う。勿論、勝手にそのように感じているだけで、これが通説というわけではないから、その道の専門家には叱られるかもしれない。
五・七・五という限られた文字の中に心の動きを表現しようとする俳句には、しばしば効果的に音の表現が登場する。音感覚の持つノスタルジイであろうか、俳句に詠まれている音はいつかどこかで耳にしたことのある音であって、それが引きがねとなって人それぞれの心の中に各人各様の情景を想い描かせる。俳句に詠まれた音たちは、決して厚かましくない。これは街道版画に描き込まれている音表現と共通した音感覚の利用方法であるように思える。とくに夏を詠んだ句には、音に関する表現が他の季節に比べて多いように感じられる。
しかも、この種の音表現は日本人だから深い感銘を受けるのであって、俳句の英訳をしようとするときにはその点に大変苦労するらしい。
[古池や蛙飛び込む水の音―芭蕉]の英訳、
The old pond;
A frog jumps in,
The sound of the water.―Basho
[釣鐘に止まりて眠る胡蝶かな―蕪村]の英訳、
A butterfly;
A sleep,perched upon
The temple bell.―Buson
(両句ともR.H.プライス著『禅と英文学』より)確かに個々の言葉の意味は正しく英訳されているようだか、これでは、 「だから、どうなの?―What happend,then?」と言うことになりかねない。
花鳥風月を愛でるのは日本人だけではあるまい。しかし、音に耳を傾け、音に心を遊ばせるのは日本人ならではの特技であるように感じられる。2.芭蕉翁の聞いた音
さすらいの俳諧師、松尾芭蕉が五歳年下の門人、曽良を随伴して江戸深川を発ったのは元禄二年(1689年)三月二十日のことであった。曽良は芭蕉翁との旅の様子を日記のかたちで克明に記録している(曽良旅日記)。三月二十日は陽暦五月九日、季節は晩春から初夏である。[行春や鳥啼魚の目は泪]
旅立ちに当たって、奥州街道の第一番目の宿駅、千住で詠んだ惜春の句である。江戸にしばしの別れを告げて旅立とうとする芭蕉の耳には、鳥たちの囀りが特別な感慨をもって聞かれたことであろう。深川から草加、日光、那須、白川、飯坂温泉、仙台、石巻、平泉を経て、陽暦七月十三日には山形の立石寺に辿り着く。当時の旅は現代のように気軽なものではない。馬の放尿する音が枕辺に聞こえてくるような粗末な宿で夜を明かしたこともあったらしく、鳴子から羽前への山越えの道中では、
[蚤虱 馬の尿する枕もと]
などと旅の切なさを句にしている。蚤や虱に悩まされながらの寝苦しい夏の夜、 そこに加えて馬の小便の音を聞かされるのだから堪ったものではなかったにちがいない。
この道中、芭蕉が句に詠み込んだ音が続く。いずれも夏の句である。
[暫時は滝に篭るや夏の初]、日光。
[木啄も庵はやぶらず夏木立]、栃木の雲巌寺。
[風流の初やおくの田植えうた]、郡山の須賀川。
[這出よかひやが下のひきの声]、山形の尾花沢。そして立石寺では、かの有名な句、
[閑さや岩にしみ入蝉の声]、が詠まれる。ちなみに、英訳されると、
What stillness!
The voices of the cicadas
Penetrate the rocks.
(前掲 『と英文学』より)
まさに季節は夏の真っ盛りであった。3.蝉の声は静寂か?
「日いまだ暮れず。麓の坊に宿かり置きて、山上の堂にのぼる。岩に巌を重ねて山とし、松栢年旧、土石老いて苔滑らかに、岩上の院々扉を閉して、物の音きこえず。岸(崖)をめぐり、岩を這て、仏閣を拝し、佳景寂寛として心すみ行くのみおぼゆ。(おくのほそ道 立石寺)」昼なお暗い細い山道を登って山寺に辿り着いた旅人。聳え立つ松の古木。苔むした岩肌。年を経た寺の構え。たたずむ旅人の汗まみれの体には、ひんやりとした冷気が心地好かったことであろう。そして周囲の樹木からは幾多の蝉の声が降り注ぐように聞えてくる。
われわれがこの句に接するとき、山奥の古い寺の情景を想像し、そこで感じられるであろう雰囲気をそれとなく思い起こすので、この句に詠まれた静寂感に心打たれる。深山の巨木に囲まれた寺の境内をイメージすることがなければ、静寂感も清涼感も感じとることは困難であろう。
そもそも蝉の声は静かな音ではない。このニュースの15号(1987年1月刊)に向坊隆理事が書かれたエッセイ「アマゾンの蝉」では、マングローブの大密林から聞える蝉の大合唱が紹介されているが、向坊先生はその凄まじさに驚愕されたものの静けさなどは全く感じておられない。
芭蕉は紀行文の中で「物の音きこえず。」と記述しているけれど、厳密には周囲に蝉の声が満ちていたことになる。アマゾンほどではなかったろうが、その情況は賑かなものであったに違いない。ちなみに、アブラゼミの鳴いている研究所の裏山に騒音計を持ち込んだら60dBを越える騒音レベルが観測された。そんなに験音レベルが高くても、研究所を訪問される方々には、「東京とは思えない静かな敷地」と評されるのだから、人の感じる静けさは奇妙なものである。
ある時、古くなった冷房装置の屋外機が突然故障してアブラゼミそっくりの音を立てたのに驚かされたことがある。回転部分のベアリングが破損して、深夜にジィージィーッと鳴り出したのである。窓越しに聞く音はまさにアブラゼミである。音源が判明すると深夜のアブラゼミは騒音以外の何ものでもない。御近所の迷惑になることが懸念されたのでクーラーのスイッチを切って暫くの間は熱帯夜に耐えなければならなかったが、[閑さや岩にしみ入る蝉の声]の句が恨めしく感じられた。
4.静けさ表現に使われた蝉の声
立石寺の蝉の声は芭蕉によって静寂感の表現に利用されたが、たしかに蝉の声自身は大層喧しいことも事実である。ところが、どういうわけか蝉の声は人の心に静けさを感じさせるらしい。わが国の芭蕉に先んじること千有余年、中国の古典にも様々な蝉が登場する。いずれも、静けさや寂しさを主題とした詩であるところは立石寺の芭蕉の句に共通している。
「倚杖柴門外、臨風聽暮蝉」
(杖に椅る柴門の外、風に臨んで暮蝉を聽く) 唐・王維、「雨過一蝉噪、飄蕭松桂秋」
(雨過ぎて一蝉噪ぐ、飄蕭たり松桂の秋) 唐・杜牧、「白水滿時雙鷺下、緑槐高處一蝉吟」
(白水滿つる時雙鷺下り、縁槐高き槐一蝉吟ず) 宗・蘇東坡、「山蝉帶響穿疎戸、野蔓盤青入破窓」
(出蝉は響を帶びて疎戸を穿つ、野蔓は青きを盤きて破窓に入る) 宗・蘇舜欽、「日色隠空谷 蝉聲喧暮村」
(日色は空谷に隠れ、蝉聲は暮村に喧し) 唐・岑参、喧しさの中に静けさを感じさせる蝉の声が、欧米ではどのように扱われているのか興味尽きないところである。西洋の童謡や童話で知る限りでは、なぜか蝉の声は登場しない。蝉時雨を単に喧しい音と感じているのだろうか。蝉の声を聞きながら、あれこれといにしえ人の心を覗いてみた。
陏の薛道衡による五言絶句
「夏晩」
流火稍西傾 (流火 稍く西に傾き)
夕影遍層城 (タ影 層城に遍し)
高天澄遠色 (高天 遠色澄み)
秋気入蝉声 (秋気 蝉声に入る)
「流火」は蠍座のアンタレスの中国での呼び方。秋が近付くと、この星が夕暮れの西の空に輝く。ここで言う蝉の声はアブラゼミではなく、カナカナカナ…と鳴くヒグラシゼミであろう。もの寂しい蝉声である。
夏の暑さは始まったばかりでアブラゼミの季節。カナカナゼミが鳴き始めるまで、猛暑が続く。皆様におかれてはご健康に十分に留意され、暑さを乗り切られるようお祈り申し上げ、暑中お見舞いとさせていただきます。