2014/10
No.126
1. 巻頭言 2. ICBEN2014を終えて 3. シンバル 4. タッチパネルを備えた多機能計測システム
   

 
  線路のゆくえ


特別研究員  古 川 猛 夫

 これまで何度も訪れたアメリカで、今回初めて移動に鉄道を利用した。気になっていたアムトラックで、250km程度を2時間半で走る鉄道の旅を2度楽しんだ。日本の新幹線と比べるとかなりのんびりしている。内部や外部への騒音はあまり気にすることなく、列車は線路の上を力強く走った。

 アメリカ東部に行く時、たいていニュージャージー州を起点に行動する。ベル研究所 (Bell Laboratories) があるのと、多少土地勘があるからである。今回はベル研の後、南下してメリーランド州ボルチモアのジョンスホプキンス大学で開かれたエレクトレット国際会議 (ISE15) に出席した。会議の後、同州ゲイサースバーグにあるNIST(国立標準技術研究所)を訪ね、その後北上してニューヨーク州アルバニー近郊のGE-GR (General Electric Global Research) を訪ねた。アメリカ東部の主要な3つの研究所を訪問したことになる。このうちベル研とGE-GR は巨大企業の研究所で、それぞれ電話を発明したグラハムベルと、発明王トーマスエジソンに由来している。どちらも正面玄関を入ると研究ノートや試作品を配置した立派な展示室があり、現在の科学情報技術はすべて両研究所から生まれたかの錯覚 を与える。NISTはいわゆる国研であり、度量衡の標準化を核とするアメリカの科学技術の国家戦略を担っている。ポリマーの部門があるので、友人も多い。NIST とGE-GR では実際に中で講演を行い、研究者と色々な話をした。しかし、ベル研では展示室を見たあと、外で友人とランチを共にしただけであった。

 残念ながら、ベル研は消えた。実際にはAlcatel-Lucentの子会社として名前は残っているが、2008年基礎研究からの撤退を表明しており、昔のベル研はもうない。AT&T とウェスタンエレクトリック社からなるベルシステムの研究所時代は「自由に研究をやってよい。使命はその質の高さである」と言われていた。研究者を信用し、それを支える余裕があった。7つのノーベル賞を11人のベルの研究者が受賞したという事実が象徴的である。これまでの基礎研究の人類に対する貢献は、投入された研究費をはるかに超えていることは明らかである。しかし、基礎研究の成果を直近の経済効果に換算するのは難しい。科学技術が成熟した現在、基礎研究の質も大きく変化している。さらに、高度な情報社会では、研究成果を発表するジャーナルにランキングが付き、個人の研究成果が数値化されている。まじめな若い研究者には、数値の増大が大きな目標となる。過度の競争が色々な事件を起こしてもいる。

 ベル研がなぜ消えたか。あまりにも巨大で、あまりにも研究環境が良かったことが不幸な理由かもしれない。かつて3万人を超えたスタッフの数は、現在のNIST やGE-GR の10 倍に相当する。大雑把には、巨大な楽園を支える余力の枯渇が原因のように思える。科学の基礎研究は、実際には経済効果だけでなく、人類の文化の創生に関わっている。この点で文芸、美術、音楽などの芸術と同じ存在である。残念ながら、このような表現は遠くに去ろうとしているかもしれない。しかし多くの研究者が必要と感じ、興味と夢を追求する努力をすれば、基礎研究は生き続けるであろうし、またそうならなければならないと思う。そこで重要な役割を果たすのは、小林理研のような多くの小さな研究所かもしれない。基礎研究の夢を乗せた列車の線路は、どこに向かうのだろうか。気になる今日この頃である。

 

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