2002/4
No.76
1. 創立60周年記念施設の完成 2. 創立60周年記念施設建築音響試験室棟 3. レコード針収納箱 4. 第15回ピエゾサロン

5. 聴覚フィルタの簡易測定

6. 創立60周年記念施設披露式開催
       <技術報告>
 聴覚フィルタの簡易測定

リオン株式会社 聴能技術部 坂 本 真 一

1.はじめに
 耳鼻科外来もしくは補聴器販売店に難聴者が訪れると、ほとんどの場合、まず最初に聴力測定が行われる。測定した聴力図(オージオグラム)を検討し、その難聴者に補聴器が必要であると判断された場合は、聴力レベルやオージオグラムの形状に基づいて、補聴器の機種の選定及びフィッティング(調整)が行われる。しかし、同様のオージオグラムを有する複数の難聴者に、同様の補聴器を、同様のフィッティング状態で適用したとしても、全員が同様の補聴効果を示すとは限らない。これは、難聴者の聴覚特性の全貌をオージオグラムだけで表現することは困難であるということを示している。難聴者の聴覚特性の表現をオージオグラムのみに頼っている限り、どんなに高性能な補聴器を開発しても、そこから得られる補聴効果には自ずと限界ができてしまう。この限界を超えるためには、オージオグラムと異なる視点に立った新たな聴覚的指標と、その実用的な測定法を構築する必要がある。

 ここで報告する聴覚フィルタの簡易測定法は、個々の難聴者の聴覚フィルタを短時間で正確に測定し、耳鼻科臨床や補聴器フィッティングのための新たな聴覚的指標とするために開発された、リオン独自の実用的な測定法である。

2.聴覚フィルタとその測定
 蝸牛(内耳)は、入力音に対して周波数分析を行い、その分析結果を聴神経を介して高次中枢へ伝える。この周波数分析機構は、帯域フィルタバンクで模擬できることが知られている。これは一般に聴覚フィルタと呼ばれており、

入力音の周波数やレベルに応じてバンド幅が変化する
低周波数側と高周波数側で傾斜が異なる(非対称性)
聴覚フィルタの形状は、roex(p,r)関数[1]の係数p(バンド幅のインデックス)とr(ダイナミックレンジのインデックス)を調整する事でほぼ模擬することができる
感音性難聴者では、バンド幅が広がる場合があるなどの特徴を有する事が知られている。特に難聴者においてはかなりの個人差があるようで、この形状差が音の知覚に大きな影響を及ぼしているとの報告もある[2]。

 聴覚フィルタの測定は、測定したいフィルタの中心周波数と同一の周波数を持つ純音を検知信号とし、この周波数を含むノッチを有するノイズ(ノッチノイズ)を用いてマスキングを行い、検知信号のマスキング閾値を測定する事によって行われる場合が多い(ノッチノイズ法)。1個の聴覚フィルタ形状を求めるためには、最低でも5〜6個のマスキング閾値を測定し、閾値関数Ps(roex(p,r)の積分関数[1])を推定する必要がある(図1)。

図1 従来式ノッチノイズ法と簡易測定法の概念図

 この測定では、マスカー(ノッチノイズ)のレベルを事前に適切な値に定める必要がある。健聴者では、30〜50dBSPL/Hzのマスカーを用いれば、概ね良好な測定結果が得られる事が実験的に確認されているが、難聴者においてもこのレベルが適切であるとは限らない。臨床やフィッティングの現場で聴覚フィルタを測定するためには、個々の難聴者に適したマスカーレベルを決定する方法を別途確立する必要がある。また、従来法では、1個のフィルタを測定するために、短くて10分、長くて約2時間30分の測定時間が必要となる。一方、難聴者の聴覚特性を把握するためには、上記特徴を考慮すると、最低でも12個程度のフィルタ(中心周波数4点×信号レベル3種類)を測定する必要があると思われ、従来法では全ての測定に2時間〜数日を要してしまう。

3.簡易測定法
 簡易測定法では、測定時間の短縮のために、フィルタの形状をあえて対称であると仮定している。以下に、中心周波数fcHzの聴覚フィルタを測定する際の簡易測定法の測定手順を示す。

  (1) fcHzにおける最小可聴閾値T dBSPLに任意の値X dBを加算した(T+X)dBSPLを検知信号レベルとし、この検知信号にホワイトノイズを重畳する。

  (2) ホワイトノイズのレベルを徐々に上昇させ、検知信号が完全にマスクされる最小のレベルNxdBSPL/Hzを測定する。

  (3) 検知信号レベルを、(T+X)から任意の値α dB減衰させた(T+X-α)dBSPLとする。

  (4) レベルNx dBSPL/Hzのホワイトノイズを検知信号に重畳し(この時点では、被験者は検知信号を知覚出来ない)、fcを中心周波数とするノッチをホワイトノイズに与える。ノッチ幅を徐々に広げ、検知信号が知覚できる最小のノッチ幅gX-αを測定する。

 図1にこれらの手順の、特に(3)(4)についての概念図を示す。簡易測定法における測定点はgx-αのみであり、これは従来法におけるPs上の周波数gx-α、レベルT+X-αの点に相当する。よって、

 α=10log(Ps(0)/Ps(gx-α))    (1)

とおくことができる。この式は、p,r,X,α,gx-α,gmaxという6種類の変数より成り立つ。ここで、Xとαは測定時に定められる任意の値であり、gx-αは測定値である。また、rはroex(p,r)フィルタのダイナミックレンジを表す係数であるので、図1より、10log(r)=-Xと置くことができる。よって、gmaxの値が決まれば未知数はpだけとなるので、pの算出が可能となり、その難聴者の聴覚フィルタ(roex(p,r)フィルタ)が推定できる[3]。ここで、gmaxは積分関数Psの積分範囲を指定する変数であり、簡易測定法では、個々の難聴者に適したgmaxの決定方法[3]も考案されているが、誌面の都合上、この説明は省略する。

4.簡易測定法の利点
 従来法ではマスカーレベルの決定法が確立されていなかったので、その難聴者の可聴範囲(最小可聴閾値〜不快閾値)の中の、どのレベルに位置する聴覚フィルタが測定されるのかは測定してみるまで分からなかった。一方、簡易測定法では、聴覚フィルタのダイナミックレンジはXdBに統一される事になる。これは、最小可聴閾値上XdBに位置する聴覚フィルタをピンポイントで測定できるということであり、結果の評価が極めて定量的になる。また、我々が実際の難聴者で測定した結果、簡易測定法を用いれば、前述の12個の聴覚フィルタが30分〜40分で測定可能である。耳鼻科臨床や補聴器フィッティングの現場の現状を考慮して、この測定時間は実用的であると言える。

 図2に簡易測定法で測定した聴覚フィルタの一例を示す。ここでは、中心周波数5点×信号レベル4種類の計20個の聴覚フィルタを示す。図2(a)は健聴者、(b)は難聴者の結果である。簡易測定法では、フィルタを中心周波数に対して対称であると仮定しているため、ここでは高周波数側の形状のみ示す。図の横軸のgは中心周波数fcとの正規化距離(f-fc)/fcである。フィルタ推定は、X=10,15dBの時はα=5dB、X=20,30dBの時はα=10dBとして行った。この難聴者では、250Hz,1kHz,2kHzで、健聴者と比べてフィルタのバンド幅が広がっており、特に250Hzでは、ダイナミックレンジが広いほど(入力信号レベルが高いほど)バンド幅の広がりが大きくなっている事が分かる。

図2 簡易測定法での実測例

5.おわりに
 簡易測定法を用いれば、耳鼻科臨床や補聴器のフィッティングの現場において、日常的に難聴者の聴覚フィルタを測定する事が可能となる。今後は、新しい聴覚検査機器への応用、現行の補聴器のフィッティング技術の向上、新しいコンセプトの補聴器の開発などへの、本方法の幅広い応用が期待される。

 [1] R. D. Patterson, I.Nimmo-Smith, D.L.Weber, and R.Milroy,
   "The deterioration of hearing with age: Frequency selectivity, the criticalratio, the audiogram, and speech threshold,"
   J. Acoust. Soc. Am. 72(6), 1788-1803(1982).

 [2] R. S. Tyler, J. W. Hall, B. R. Glasberg, B. C. J. Moore, and R.D. Patterson, "Auditory filter asymmetry in the hearing impaired," J. Acoust. Soc.Am.76(5),1363-1368(1984).

 [3] 中市健志, 綿貫敬介, 坂本真一:簡易測定法の聴覚フィルタ推定精度,
  日本音響学会聴覚研究会資料 H-2002-05,(2002)

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