2001/7
No.73
1. 航空環境保全委員会(ICO/CAEP)第5回本会議 2. 第12回ピエゾサロンの紹介 3. 鉱石ラジオ 4. 閉塞的な構造を持つ道路における排水性舗装の騒音低減効果について 5. 新しい騒音計シリーズNL-20/NL-21/NL-31
      <骨董品シリーズ その40>
 
鉱石ラジオ


理事長 山 下 充 康

 還暦を過ぎた年齢層の一部には「ラジオ技術」、「初歩のラジオ」、「模型とラジオ」といった月刊誌の名前を聞くと自分たちの少年時代を懐かしく思い出される方々が少なからず居られるのではあるまいか。いわゆる「科学少年」という類のイタズラ小僧たちである。路地裏で徒党を組んで遊びまわっていた「洟垂れ小僧の時代」の次にやってきたのが「科学少年時代」だったように記憶している。鉄道模型や昆虫採集、天体観測や蛙の解剖等々、今になって思い返すと一時的な好奇心に駆られて夢中になっただけで、ガラクタの投げ込まれたおもちゃ箱のような思い出しか残されていない。

 今日と違って戦時中から戦後間もなくにかけて、生活物資が不足していた時代だから、子供のホビーのための材料を売る店など無かった。戦災の後始末が一段落した頃、東京では白金の魚籃坂(ギョランザカ)と新宿通りの四ツ谷寄りに鉄道模型材料を売る小さな店が開店した。プラモデルなどが登場する以前のことだから竹ひごやアルミニュームのチューブ、セルロイドの板や工作用の厚紙などが売られていた。手近に入手できる材料を使って自分なりに納得の行く何かを造っては満足していた時代だから、小遣い銭を貯めてはこれらの模型材料店に通うのが大きな楽しみだった。

 その頃の少年たちの好奇心を強く刺激していたのが前掲の「ラジオ」や「模型」を扱った月刊誌たちであった。現在ならば書店のコンピューター関連書籍のコーナーに並べられている情報誌に似ているが、現在と当時との大きな違いは紹介されているのが手創り工作の記事で、これが大層な人気だったことである。材料の入手が不可能でないように工夫された内容の工作記事が多く、普請場の大工からもらった木切れとか荒物店や電器店から貰い受けた針金などが貴重な部品になったものである。

 そんな時期、模型材料店の店頭に「鉱石ラジオ」のキットが登場したことがある。このキットは我々の垂涎の的だった。

 キットと言ってもその内容は、[蜘蛛の巣型のスパイダーコイル]と[アルミ板が多層に組み合わされた容量可変型蓄電器(バリアブルコンデンサ:通称バリコン)]、[検波用のゲルマニウムダイオード]、それに[クリスタル型レシーバー]の以上四点だけである。クリスタルレシーバーは「小林理研製作所(今日のリオン株式会社)」の製品が感度、安定性、耐久性ともに優れていたことからクリスタルレシーバーといえば小林理研製作所の製品と決まっていた。

 これらの部品を適当な大きさの木の板に固定し、配線図どおりにエナメル線を使って組み立てるわけだが、ハンダやハンダごても今日のように使い勝手の良いものではなく、銅の棒を削ったようなこてを炭火や台所のガスコンロで加熱しては冷えないうちにハンダを溶かして手際よく接合する。この作業にはコツがあって随分苦労させられたものであるが、小さなブリキの缶に入れられていたペーストの焼ける匂いは今でも懐かしい。

 鉱石ラジオはゲルマニウムを検波に利用した機構なので、当然ながらこの検波部分が心臓部に当たる。ゲルマニウムは灰白色の結晶で元素記号はGe、原子番号32の希元素である。図1は箱入りで残されていた鉱石ラジオ用のゲルマニウム「RADIO CRYSTAL」である。これをガラスのケースに閉じ込めて鋭く細い針金で突付いては感度の良好な接触点を探りながら放送電波を捉える(図2)。

図1 鉱石ラジオ用ゲルマニウム
「RADIO CRYSTAL」
 
図2 ガラス容器にゲルマニウムを収納した
検波器

 図3は1930年代の教育用と推測されるボード型の鉱石ラジオである。コイルや検波部分の結線方式を明解に見ることが出来る。[CRYSTAL]と記されている部分にゲルマニウムの結晶が露出していて鋭い針の先端がこれを突付くように固定されている。同調回路として機能するアンテナコイルには擦動レバーが接していて連続的にコイルの巻き数を加減することが出来るように工夫されている。これは選局のための装置であるが、他にコイルを固定し、バリコンを使用した選局方式の機種もある。 図4は同時期に使われていた本格的な鉱石ラジオである。同調回路用のコイルが大きく、選局用の擦動装置も堅牢に作られている。ゲルマニウムを収納したガラス容器と接触端子からなる検波部分がコイルの横に設置されている。

図3 科学教材用のボード型鉱石ラジオ
(1930年代)
 
図4 堅牢な作りの本格的な
アンティーク鉱石ラジオ

 これらの鉱石ラジオにはアンテナ線とアースが必要不可欠で、現在のラジオのように操作性の良いものではなかった。空中の電波をアンテナで捉えてこれを検波して電流に変えた信号をレシーバーで聞くわけだから聞こえてくるのは極めてかすかな音であった。今日のような騒々しい環境では鉱石ラジオの微かな音を聞き取るのは困難であろう。

 筆者も幾つもの鉱石ラジオを作製してラジオ放送を楽しんだ時期がある。自作の鉱石ラジオのレシーバーから聞こえてきたラジオ放送には大感激したことであったが、放送局間の分離が悪く常に混線状態で、落語と野球と駐留軍放送のジャズが同時に聞こえて煩わしい思いをした記憶がある。NHKの第一放送、第二放送、駐留軍の極東放送(FEN)の三局の時代はまだ我慢できたがその後民間放送が増えてからと言うもの、局分離の良くない鉱石ラジオは世間から忘れられた観がある。

 ゲルマニウムの結晶をそのまま転がし、これを針先で突付きまわすのはいかにも使い勝手が良くない。1941年(昭和16年)シーメンス社はゲルマニウムを半導体ダイオードとして完成させる。我々が戦後に鉱石ラジオキットのパーツとして目にしたのはゲルマニウムダイオードであった。

 大正時代の末期に東京放送局が本放送を始めた頃、鉱石ラジオは急速に普及したとのこと。しかし昭和の初めに真空管回路を利用したラジオが登場。音量の点でも、放送局の増設に伴って生じる混信を避けるのにも優れた性能の真空管ラジオに押されながらも鉱石ラジオは科学少年たちの間に細々と残されていたようである。とはいえ、今日、鉱石ラジオに出会うのには極めて困難なのが実情である。鉱石ラジオは過去の遺物になってしまった観があるが、同調回路や検波機能などラジオ受信機のメカニズムを明解に説明している姿に強い魅力を感じさせられる。

 そんな魅力に惹かれて音響科学博物館の一角に鉱石ラジオのコーナーを設けた次第である。

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