2001/4
No.72
1. 音を制すは人をも制す 2. 第11回ピエゾサロンの紹介 3. 砂時計式キッチンタイマー 4. ロッセル塩結晶の生い立ちと圧電気 5. オージオメータ AA-79/79S
       <骨董品シリーズ その39>
 砂時計式キッチンタイマー

理事長 山 下 充 康

 キッチンタイマーが登場したのがいつの頃かを正確に記憶しているわけではないが、少なくとも十数年前に亡くなった明治生まれの母親がキッチンタイマーを使って料理をしているといった光景を思い出すことができないから、近年になって登場した台所用品であろう。キッチンタイマーは今日では台所用品の一つとして珍しいものではなくなっている。電気冷蔵庫の表面にマグネット式で固定されていたり食器棚に貼り付けられたりしているキッチンタイマーを見ると調理過程においてかくも厳密な時間管理が要求されるものなのかと首を傾げたくなる。近年のキッチンタイマーの多くがゼンマイによる機械式から液晶クオーツのディジタル式に変わり、そのため苦もなく百分の一秒の単位で正確な時間を表示する機種が大勢を占めている。

 オリンピック競技の時間記録の更新が百分の一秒の差で云々されるのは納得できないでもないが日常生活の場での百分の一秒にどんな意味があるのか理解に苦しむ。なかんずく調理の時間管理において時間を百分の一秒単位で表示する用具が用いられるというのは如何なものか。

 「お湯を注いで三分間」と指示されているからといって三分間をストップウォッチのようなタイマーで計ることをしなくても頃合を見て「そろそろ食べるかナ」というのが普通で、これが二分半であろうと三分半であろうとさして不都合なことはなかろう。

 知人にスパゲティとパスタのゆで方に拘っている男がいる。鍋の大きさ、湯の量、火加減、そして何よりもゆで上げるまでの時間を極めて厳密に規定している。湯が煮立ってから火を止めるまでの時間は正確に九分三十秒でなければならないとの講釈。彼にとってはキッチンタイマーが必要不可欠な調理用具である。そんな彼がある時規定の時間どおりにゆで上げて火を止めたものの、湯から一本のスパゲティをすくい出して口に入れてモソモソやっていたが、やがて不満げな表情をしたと見ると再度ガスに火を点けたことがあった。タイマーで厳密に計った時間は何だったのか解しかねたことであった。

 とはいえ、鍋に湯を沸かして卵をゆでる時などにはタイマーがあると便利である。半熟卵なら三分、硬くゆで上げたければ五分といった具合に加熱する時間でゆで上がり具合をコントロールする。

 静岡の駅前に美味い茶を飲ませる店がある。お湯のポットと茶の葉を入れた急須と煎茶ちゃ碗、これに湯冷ましの器と小さな砂時計が添えられてくる。砂時計は三分計である。ポットの湯を一旦湯冷ましに移し、これを急須に注いで砂時計をスタートさせる。砂が落ち切るまでの三分間をじっと待つ。小さなガラス器の中で音もなく落ち行く砂を見つめての三分間は結構長く感じられるが、この三分間が重要らしい。店員がしっかりと監視しているからいい加減な時間計測は許してもらえない。静かな店内で客が砂時計とにらめっこをしている光景は奇妙ではあるが指定どおりに煎れると一煎目は甘味を、二煎目はさわやかな苦味、三煎目は快い渋味と三煎まで楽しませてくれる。

 砂時計は古くから時間の計測に利用されていたらしい。大航海時代に船乗りが見張り番をする際に交代時間を管理するのに使われたとの記録が残されている。砂時計は時間を計るのに動力が要らず日時計と違って昼夜を問わず使うことが出来て携帯が容易であることなどの理由で様々な現場で利用されていたようである。ただし、砂時計にも弱点がないわけではない。弱点の一つは厳密な時間計測には不向きであること、二つめは所定の時間を知るためには砂が落ち切るのを見つめていなくてはならないことである。煎茶店でひたすら三分間をじっと待つような場合ならともかく台所で忙しく動き回っている主婦には音もなく落ち続ける砂を見つめることは困難であろう。砂時計をスタートさせてふと気が付いたときには砂がすっかり落ち切っていたなどと言う始末になりかねない。 

 そこで今回の骨董品に登場するのが指定の時間が経過すると合図の音が鳴る工夫のされた優れ物の砂時計である。単純な構造のブリキ細工の支えにガラス製の砂時計本体が固定されている(図1参照)。刻印からドイツ製であることが判る。

図1
  ドイツ製のアンティークな砂時計式キッチンタイマー。
ガラス製の砂時計が規定の時間が来るとクルリと回転して金属の打環が台座に固定されているベルをチーンと打ち鳴らす。

 機構は至って明快で、落下した砂の重さによって砂時計のガラスの本体がクルリと回転して、端部に吊られている小さな金属の打環がベルを「チーン」と打ち鳴らす。砂時計をスタートさせる際に三通りのセットポイントがあって三分、四分、五分と三段階に目盛りが刻まれている(図2参照)。図3は砂時計をスタートポイントにセットした状態である。

 
図2   三段階のセットポイント(3分.4分.5分)
が設定されている。
  図3   砂時計を規定の位置にセットした状態。

 キッチンで忙しく立ち働く者にとって音による合図はありがたかったに違いない。現代のキッチンタイマーも時間経過を信号音で知らせてくれるが、電池もなければ動力もない単純な仕掛けの砂時計式キッチンタイマーは音具としても見事な実用品である。クオーツ式のタイマーと比べて正確さでははるかに劣るものの、百分の一秒を表示する現代のキッチンタイマーよりも実用的でキッチンに似合うように感じられる。今回は西洋骨董店の片隅で見つけた音で時間を知らせる簡単な仕掛けの砂時計式キッチンタイマーを紹介させていただいた。

図4   一秒単位まで表示できる現代のクォーツ式キッチンタイマー

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