2001/1
No.71
1. 21世紀を迎えて 2. WESTPRAC VII 会議報告 3. 音響校正器 NC-74
       <会議報告>
 WESTPRAC VII会議報告

WESTPRACの3日間  WESTPRAC VII参加雑記

杉 江  聡、堀 田 竜 太

WESTPRACの3日間
 WESTPRAC VII(The Seventh Western Pacific Regional Acoustics Conference)が、シドニーオリンピック開幕直後の2000年10月3日〜5日の3日間、熊本で行われた。会議名からもわかるように、太平洋西沿岸地域の諸国による音響学の国際会議である。参加者もオーストラリアや東アジアなどの方々をはじめ、18ヵ国、500名以上であった。当研究所からは、五十嵐名誉顧問、山田常務理事、山本所長、堀田と私が参加した。

 私は初めての英語の発表ということもあって、前日ぎりぎりまで当所で発表準備をして、堀田とともに羽田発熊本行き最終便で熊本入りした。

 10月3日、会議初日である。8時半に会場に到着した。さすがに国際会議とあって、熊本城のすぐ近くにある「メルパルク熊本」というすばらしくきれいな会場であった。まず、会場全体を見渡すと「Internet Free」と掲示されていることに気づく。その周りでは、簡単な設定さえすれば自分が持ち込んだパソコンで、会場のLANを利用して外部とのeメールのやりとりやウェブサイトの閲覧などが行えるのである。また、パソコンを持っていない人のために、自由に利用できるパソコンが会場2箇所に設置してあった。今流行の「IT化」の波を感じて驚いた。

 その「IT化」の波は発表風景にも反映していて、発表者の1/3(私の見た感じでは)くらいがパソコンを使って、プレゼンテーションを行っていた。外国語による発表であっても、動画などがあり私の貧弱なヒアリング力でもわかった気になるのだから、「IT化」の効果は絶大なものである。

 各セッションは7つの部屋にわかれて行われ、類似した発音が重なることがなかったので、私はRoom B(建築音響)とRoom C(騒音・振動)を渡り歩きながら各発表を聴いていた。実は、私の発表は最終日の3時40分からだったので自分の発表のことで頭がいっぱいで、聴いた内容の半分も理解できなかった。

 2日目の発表が終わり、バンケットが始まるまでの間に、同僚の堀田が発表をみてくれるということで、空いている発表会場に忍び込み、発表練習をしていた。 その間、部屋に数人の方が入ってきたが、申し訳なさそうに出ていってしまった。本当に申し訳ないのはこちらの方なのだが。一通り終わった後、偶然にも五十嵐名誉顧問、山田常務理事と山本所長が入ってきた。結局、もう一度発表練習をみていただくことになったが、これが次の日の本番に非常に役に立った。あとでスタッフの方に聞いたのだが、その部屋はバンケット出席者用のクロークだったそうで、扉の前で何人もの人が待っていたそうである。(すみませんでした。)

 本番当日である。Chairpersonは、Jian KANG氏で、セッションが始まる前にカタコトの英語で挨拶に行った。「昔、吸音材のことをやっていて、あなたの発表には興味があります。」(私にはこのように聞き取れた)と言われたので、少しリラックスして発表に臨むことができた。発表中は、無我夢中でほとんど何も覚えていない。次に質疑応答である。前日の特訓で得たアドバイスを生かし、想定問題集をつくり臨んだ。2つの質問にはどうにか答えることができたが、最後のJian KANG氏の質問がほとんど聞き取れなかった。周りの方々の協力を得たにもかかわらず、ちゃんと答えられなかった。どんなに良いアドバイスをもらい準備をして臨んでも、肝心のヒアリングができなければ、まさしく「馬の耳に念仏」である。

 そして、このセッションが終わると会議は、Closing Ceremonyを残すのみとなった。しかし、私はそれには出席せず、一足先に東京へ戻った。このWESTPRACの3日間は、外国語によるコミュニケーション力というのは一朝一夕にはならず、日々の努力が必要であると痛感させてくれた。

 おわりに。開催期間の3日間緊張のし通しで、「これぞ、熊本」というものにはほとんどふれなかったが、2日目の昼食後、2時間ほど熊本城の周りを散歩した。宇土櫓にて、説明員の方が聴衆が私一人だけにも関わらずとても丁寧に説明して下さった。その方のお話から感じる熊本という地への誇りや愛着から、良き熊本にふれることができたと思う。これも、十分なコミュニケーション力あってこそである。

↑先頭へ戻る   (建築音響研究室 杉江 聡)

WESTPRAC VII参加雑記
 私にとって、このWESTPRAC VIIは、1994年に横浜で行われたINTER-NOISE、1997年に東京で行われたASVAに続いて3回目の国際会議となる。しかし、今回はこれまでの2つの会議とは違い、初めて英語による口答発表をおこなうため、何をとっても不馴れな作業をこなしていかなければならず、熊本に出発するその日までOHPとoral paperの仕上げに追われることとなった。しかし、いざ現地に到着すると、宿泊したホテルからは熊本市を囲む山並みを伺え、そして会場までの往き道から、街を見下ろすように建っている熊本城の姿を目にすると、会議の開催までになんとか発表の体裁を整えることができたという感慨で少し清々しいような気分であった。

 会場のメルパルク熊本に到着すると、そこにはコンサートが開けるような大きな会議場が一つと、数十人程度収容できる会議室がいくつかあり、Plenary Lecture等はその大会議場でおこなわれることとなっていた。会場を見渡すと、参加者の内訳は、日本人が半分強、日本以外からのアジア系の人が三分の一程度、残りが西欧諸国からの人達のように見受けられた。Opening ceremonyに続いておこなわれた東北大学の城戸先生によるPlenary Lectureでは、中国語・韓国語・日本語のそれぞれでの"Acoustics"という用語の漢字表記の話題から始まって(ちなみに、韓国語と日本語では「音響学」だが、中国語では「声学」となるそうだ)、古代から現代までの音響学の歴史、そして音響学の将来の展望にまでいたる、非常にスケールの大きい講演を聞く事ができた。

 個々の発表はパラレルセッション形式でおこなわれた。私は主に環境騒音・建築音響・シミュレーション関係のセッションについて見て回ったが、やはり英語力の不足のせいでとくにネイティブスピーカーによる発表ではヒアリングに非常に苦労し、なんとか聴き取れた単語を手がかりにOHPとproceedingsを読み進むという状態であった。しかし、日本人発表者に対して外国の人が質問する際は、非常に丁寧に発音するように気をつかっているように見え、これなら自分も何とか無事に発表を終えることができるかもしれないと思った。

 また、この会議では、どのセッションについても自分のノートパソコンを持ち込み、直接プロジェクターに繋いで発表をおこなう人が、日本人・外国人にかかわらず非常に多かったのが印象に残った。この方法だと非常に鮮明な画像で投影できるうえに動画を表示することもでき、上手に使えばプレゼンテーションのインパクトは非常に大きいものがあると感じた。しかし、私のセッションの座長をつとめたベルギーAcoustical Technologies C.E.O.のDr.Clairboisが、山田常務理事や山本所長と雑談していた折りにこの様なことを言っていた。「コンピューターを使った発表では会議が終わったあとに何も手元に残らない。OHPもoral paperも無いのでは、後からそのことを振り返るのは難しくなってしまう」そして私もその言葉に同感するところが大きい。

 私の発表は二日目の午前中となっていたので、初日のすべてのセッションが終わったあと、使っていない会場を拝借して実践形式で練習することにした。しかし、ある1枚のOHPまで進んだとき、ひと組のグラフが互いに入れ違いになっていることに気がついた。この際、見栄えに気をつかっている場合ではないので、急いで事務局に行ってハサミとセロテープを借り、入れ違っているグラフを直すことができた。それにしても、これまでに何度も練習しているのになぜ見つからなかったのだろうという焦りと、なんとか本番寸前に直すことができて良かったという安堵感で複雑な気分であった。

 そして、私の発表はTraffic Noise Controlについてのセッションでおこなわれた。発表はひたすらoral paperに頼ってなんとか無事に終える事ができた(切り貼りしたグラフもそんなにひどい見え方にはならず、胸をなで下ろした)。しかし座長のDr.Clairboisの質問をうまく聴き取ることができず、山本所長に助け船を出してもらう羽目になってしまったのが残念である。けれど、自分の発表が終わったあと引き続き発表を聴いていると、他の人に対する座長の質問はなんとか聴き取ることができるのである。やはり壇上に立っている時は緊張のせいで自分の能力を十分に発揮するのは難しいものだと感じると同時に、そのような緊張感の中でも使えるような英語力を身につける事が大切なのだと痛感した。

(騒音振動第一研究室 堀田竜太)

小林理研に来所されたDr.J.P.Clairbois
(音響科学博物館にて。右は当所山本所長)

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