2000/10
No.70
1. 研究所と60年 2. Inter.noise2000 会議報告 3. 簡易録音器 [SPEAKEASIE RECORDER] 4. 第10回ピエゾサロンの紹介 5. 音響インテンシティ測定器 SI-50
      <会議報告>
 Inter.noise 2000会議報告

土肥哲也、松本敏雄、加来治郎、山本貢平、山田一郎

インターノイズ参加日誌   Transport noise control.Anti noise devices (交通騒音制御 騒音対策装置)
EU諸国内での騒音政策の統一化など  道路交通騒音予測モデル"ASJ Model 1998"
インターノイズ参加、Airbus社・Malpensa空港訪問

インターノイズ参加日誌
 20世紀最後のインターノイズは平成12年8月27日〜30日の4日間、南仏のニースで開催された。当所からは山田常務理事、山本所長、加来騒音振動第三研究室室長、松本騒音振動第一研究室主任と私の5人が参加した。私の会議報告ではInter.noise 2000の概要と初めて国際学会に参加した感想等について紹介する。

ニース:ニースはフランス南東の地中海に面した場所にあり、近くには映画祭で有名なカンヌやF1グランプリが行われるモナコ公国がある。この地方は碧い空と碧い海が広がっていることからコートダジュール(紺碧海岸)と呼ばれており、1年を通じて気候が温暖なため、世界中のお金持ちの別荘がある。我々が訪れた間もほとんどが晴天で、気温も快適であり、一時ではあるが「真夏日」や「熱帯夜」といった言葉を忘れる事ができた。

参加登録と開会式:27日は受付と開会式があった。国際学会なので全員スーツで決めてくると思い手続きに行くと、ほとんどの人は短パンにシャツといったラフな格好をしており、少し拍子が抜けた。受付で受け取った書類には申し込んだはずの講演論文集やバンケットなどの引き換え券が一切入っておらず、受け付けのあまり英語が話せないフランス人と英会話の勉強を始めたばかりの私で片言英語の交渉をするはめとなり、この先が思いやられた。

 夕方から行われた開会式では、今回のインターノイズは1000件を超える参加申し込みがあり、最終的に860件(発表578件、ポスター282件)が登録された事、そこには44カ国もの人が入っている事などが紹介された。参加者が多かったため、今回私は口頭発表希望で申し込んだにもかかわらず、ポスター発表になってしまった。参加者が多かった理由は世界中の人にとってニースが魅力的な所だからに違いないと思った。開会式では英語の通訳はあったもののフランス語が多く、私にはほとんど内容が理解できなかった。しかし周りを見回すと髪の毛や瞳の色が多種多様であり、国際学会に来たと実感した。式の後は建物屋上にあるテラスに移動し、ワインなどを飲みながらしばらく談笑の時間となった。テラスは非常に気持ちがよく、南仏の空とワインは最高だった。 山田常務理事や山本所長はチェアマンの会合や他の会議などがあり忙しそうであった。

初日:私のポスターセッションは2日目だったため、この日は他の人の発表や展示ブースなどを見て回った。

 始めのセッションは9:40から始まるが、毎朝その前にMorning key noteと呼ばれる講演が8:20からl時間ほど大ホールで行われた。講演者はOHPを使わず自分で持ってきたノートパソコンを使って大型スクリーンにきれいな図を映したり、内容に即した音を聞かせたりして、(英語にもかかわらず)かなり分かりやすい講演であった。

 今回の発表は3日間で会場は10部屋に分かれており、1発表20分(15分発表、3分質問、2分移動)であった。驚いたのは発表の終わりや質問の終わりの合図がブザーやチャイムではなく、汽車がやってくる音やオーケストラの音、鐘の音だったりしたことである。始めの頃は皆面白がって笑っていたが、その音が大きく鳴っている時間が長いため(特に汽車の音は1分位鳴り続いていた!)、その間発表や質問が完全に中断してしまい、その日の午後位からはかなりボリュームを絞っていたようだ。しかし、国際学会だけあって時間を超過して発表する人はほとんど見当たらず、原稿を読み上げる人も少なかった(日本人は結構いたが…)。

 この日の夕方からは初日と同じテラスでカクテルパーティが行われた。快晴の夕暮れのもと、バンドによる演奏が行われ、夫婦で踊っている人も何人かいた。日本で聞いていた通り外国人は海外出張に夫婦同伴で来ている人が多く、尊敬するものがあった。日本人にも何人かの方が夫婦や家族で参加されていたが、外国人に比べるとかなり少なかった。

 夜、会場近くのオープンテラスで夕飯を食べているとドイツ国鉄に勤めている人が話しかけてきたが、山田常務理事が相手をしてくれたのでその日は助かった。

いよいよ本番:2日目、ついに自分のポスター展示の日が来てしまった。今回は人数が多いためかポスターについて概要発表のようなものはなく、朝から夕方までポスターを展示しておいて、普通のセッションがない昼休みを含む2時間ポスターの前で質問に答えなさいという要領であった。今回ポスター1人分のスペースは横幅が1mとかなり狭く、その分高さが2.5mもあった。外人は手を伸ばせば上まで届くが日本人はまず届かないため、朝一番にポスターを貼りに行った私はすかさず他の部屋から椅子を拝借した。ポスター会場は1個所しかなく、1日で90件ほどの展示がある予定であったが、実際は3分の2程度しか展示がなく、空白が目立っていた。来ていないのは、私と同様に口頭発表希望でポスターになってしまったか、もしくはフランスまでの旅費が高いためだろうと思った。

 午前中は普通のセッションを聞くための時間になっていたが、私はそれどころではなくロビーで自分の展示内容を一通り説明するための原稿を何度も見直していた。

 昼になり、仕方なくポスター会場へ戻ると大勢の人がすでにポスター会場に集まっており、活気に充ちていた。自分のポスターの前を覗いてみると、なんと昨日のドイツ国鉄の人が仲間を連れてすでに待っており、そこから逃げ去ることができなくなってしまった(私は鉄道に関する発表だったので興味を持たれたのかも知れない)。諦めて彼らと世間話をしていると説明の時刻(12:00)ちょうどになって「さあ、時間だ。説明してくれ!」と突然言われた。ドイツ人はきっちりしているとよく聞くが彼らはその典型だなあと思いつつ、覚えておいた英語で彼らに説明した。その後、いくつか質問があったが、ポスターを指差したり、言いたい事を紙に書いたりすることで何とか答えたつもりである。その後も2〜3人に説明したが同じ様に身振り手振りでなんとかしのいだ。ある時は自分のポスターを見ている人がいたので後ろから「説明しましょうか?」と英語で聞いたら、その人は日本人で恥ずかしい反面ほっとしたこともあった。誰も来ないときはとなりのセクションにいたデンマーク人と世間話をしていた。そんなことをしていたら、やっと質問に答える2時間が終わった。2時間英語を話し続けたのは生まれて初めてだったので汗をかくほど疲れたが、後々考えてみると私はポスターセッションでよかったと思った。何故なら英語がほとんど話せない私がもし普通のセッションだったら発表後の質問を聞き取れるはずがなく、ポスターだと何度も聞き返すうちに相手が自分のレベルに合わせてくれるからである。

 その日の午後からは興味のある発表や当所から参加した者の発表を聞いたりしていたが、いうまでもなく気分はニースの空のように晴々しており、肩が軽くなっていた。他の発表者は皆上手で感心したが、私の知らないうちに朝や夜ホテルで練習していたそうで、さすがだと思った。また英語の質問に適確に答える能力は積み重ねた経験と英語力によるはずで見習うべき事が多かった。

閉会式:最終日は、夕方頃から閉会式が行われた。今後のインターノイズは2001年オランダのハーグ、2002年アメリカのディアボーン、2003年韓国で開催されることなどをアナウンスしていた。最後に来年2001年の紹介があり、「オランダはニースより寒いけど海岸はちゃんとあります、皆さんにオランダの海岸の砂をつめたケースを用意しました。どうぞ持って帰って頂き、来年オランダに返しに来て下さい」という言葉で今年のインターノイズは閉幕した。

さいごに:今回初めて国際学会に参加して、不十分な発表でありながらも色々なことを経験でき、非常に有意義であった。国際学会はとにもかくにも英語の会話力で全てが決まるものだと痛感した。次の機会までには口頭発表後の質問になんとか答えられるだけの英語力を備えておきたいものである。ちなみにオランダの砂は帰国後、所内で来年インターノイズに行きそうな人へのお土産となった。

↑先頭へ戻る   (騒音振動第三研究室 土肥 哲也)

Transport noise control.Anti noise devices
(交通騒音制御 騒音対策装置)

 このセッションは防音壁関連のセッションで、初日の9:40から14:40まで1時間のLunch timeを挟んで12件の発表があった。ChairmanはベルギーのJean-Pierre ClairboisとイギリスのBradford大学のDavid Hothersallで、私の発表もこのセッションであった。セッションはイタリアのM.Garaiの2件の発表から始まった。内容は、outdoor(free field)で測定された防音壁の音響性能(吸音と遮音)と残響室における測定結果の比較であった。フランスのF.Anfosso-Ledeeも同様の内容であった。九州芸工大の藤原教授は、音響的にソフトな表面を持つ円筒状物体を防音壁のエッジに取りつけた新型遮音壁の性能について実物モデルを用いて検討した結果の報告であった。5番目はChairmanでもあるJ.P.Clairboisの発表で、新しい遮音壁を開発する際の問題点を示した。

 6番目は私の発表で、路面に対して水平方向に隙間のある遮音壁の音響性能について実物モデルを用いたフィールド実験によって検討した結果を報告した。Inter.noiseにおける発表は3度目であったが、いまだに緊張の連続であった。それでも一応、発表は15分間の与えられた時間内に終了し、質問も2つ受けたが何とか答えることが出来た。

 次に、イギリスのG.Wattsの発表が2件あった。1つ目は防音壁の音響性能に影響する要因として壁の隙間、表面の吸音性能、回折点の幅、気象条件などを挙げ、BEMによる計算を行い、各要因の変化に伴うinsertion lossの増減についての報告であった。2つ目は路面に対して垂直方向に隙間のある防音壁の設置効果についてBEMを用いて計算した結果を示した。午前の最後の発表はCo-ChairmanであるD.HothersallでBEMを用いて中央分離帯に設置した防音壁の設置効果を異なる地表面上で計算した結果の報告であった。午後の発表は3件で、東大生研の坂本氏は様々な断面形状の防音壁の滅音量をBEMにより計算し、前川チャートと比較した結果について示した。発表の中でパソコンを用いた音の可視化のデモンストレーションは印象的であった。綜合技術コンサルタントの三宅氏は任意の向きに置かれた二つの半無限障壁による2重回折の新たな簡易計算法を示した。そして、このセッション最後の発表は香港のH.Y.Wongで、防音壁に隙間がある場合の影響を計算と模型実験で示した。

 最後に、今回のInter.noiseには860件の発表、1200人を超える参加者があり、大盛況であった。しかし、私自身としては外国の研究者との交流が出来なかった。また参加する機会があれば、次回こそは英語で外国の研究者との交流を図りたいと思う。

↑先頭へ戻る   (騒音振動第一研究室 松本敏雄)

EU諸国内での騒音政策の統一化など

 参加者が昼食時に集まる大ホールでは、どのテーブルにも赤・白・ロゼのワインが並んでいる。午前中の2時間あまりも異国の言葉に晒された脳内細胞にはわずかな量でも十分なのに、郷に入りてはなんとやら、隣席の人につられてついついグラスを重ねてしまう。日本酒に慣れ親しんだ身には少々のワインで発表の聞き取り能力がこれ以上落ちることはないが、顔色一つ変えずに水代わりにワインを飲めるこちらの人がやはり羨ましい。

 さて、今回の国際会議では研究発表会に先立ってI‐INCEの技術小委員会が開かれ、この内の騒音に係る政策・規制の集まりに出席した。橘委員長の司会によって議事が粛々とすすむ内は一委員の積もりでいたが、英国のB.F.Berryが自説をまくしたて始めてからは?,?,の連続で、後になってリオンのT氏の説明でようやく納得する次第であった。結局、統一した質問票を各国の関係機関に送付して騒音基準に係る詳細な資料を収集することに決まったが、国情の違いなどをどのように整理するか難しい課題が残されているように思える。

 研究発表会では、自分の興味もあって主に環境騒音や鉄道騒音のセッションに顔を出した。特に印象に残った点は、2,3年前から始まったEU諸国内での騒音政策に関する統一化であり、騒音指標、影響評価、騒音予測の3つの分野での作業の進捗状況がドイツのD.GottlobやオランダのT.Woldeらによって報告された。騒音指標に関しては、アノイアソスはLden、睡眠妨害は夜間のLAeqで評価することとされている。暴露-反応曲線や騒音予測方法の暫定的な案についてはまもなく提案されることになっている。通貨だけでなく、環境の分野でも統一を図ろうとする強い意気込みが感じられる。鉄道騒音に関しては、車両と軌道の低騒音化によって総合的に10dBの減音効果を実現しようとするプロジェクトが主要7カ国の関係機関によって1996年末よりスタートしているが、今回その成果の一部が報告された。対策方法の多くは我国でも新幹線の騒音対策で検討されたものであるが、理論的な構造解析と実験的な検証を並行させて行う彼らの手法によって、これまでにない有効な対策技術が生まれるのではという期待を抱かせるものがあった。

 今回の会議でも、総数850件を越える内の1割強が日本人の発表であった。以前ほどではないにせよ、我々の発表となると聴衆が減り、欧米人の発表となるとどこからか人が集まるという光景が見受けられた。自分の発表がその傾向を強めたことに心を痛めたが、彼らと対等に渡り合う若い人の出現に多少とも救われる思いを胸に、一度もあのニースの海岸を歩くことなくこの町を後にした。

↑先頭へ戻る   (騒音振動第三研究室室長 加来治郎)

道路交通騒音予測モデル"ASJ Model 1998"

 南仏のリゾート地ニースは既にサマーバケーションの最後を迎えている。それでも夜遅くまで、海岸沿いのプロムナードやオープンテラスは観光客で賑わっていた。東京を発ってから既に16時間。我々は夏の終わりの観光地に到着し、ようやくホテルで旅の疲れを休めることが出来た。

 Inter.noise 2000は第29回目にあたる。1988年のアビニョン以来、久々のフランス開催だ。高級リゾート地での開催とあって、各国から多数の参加者があった。今回のインターノイズでは、EU統合のあおりを受けて、ヨーロッパ連合内での騒音に関する研究が、一つのまとまりに向けて進んでいることが強く感じられた。  

 Environmental Noise Policyのセッションを初め、交通騒音の予測や対策、計測などがヨーロッパ各国の共同で研究が進められていた。今回の組織委員長M.Vallet氏が昨年日本を訪問された時の講演で述べられたように、ヨーロッパでは騒音問題に関わる各種の約束ごとをHarmonize(調和)する活動があると云うのが今回肌で感じることが出来た。

 一方、私の関係する道路交通騒音の分野では、日本の新しい予測モデルを一気にヨーロッパへ紹介した。すなわち、日本音響学会の道路交通騒音調査研究委員会が1999年4月に発表した"ASJ Model 1998"である。東大生研の橘 秀樹教授を先頭に、日本自動車研究所の押野康夫氏と私の3人が予測モデルの骨格を紹介し、関係する内容を上坂克己氏(建設省土木研)、高木興一氏(元京都大学)、田近輝俊氏(環境技研)、そしてポスターセッションでは佐々木実氏(東和大学)が各々発表した。日本人だけのセッションになるのではないかと心配したが、予想に反して各国から多くの人が駆けつけてくれ、非常に活発な質議応答が出来たことは、我々にとって大きな収穫であった。私個人としては日本の環境基準がL50からLAeqに改正されたことが、こう云った騒音予測モデルに対しても、世界各国と共通の討論ができる素地を作ったと云う思いを深くした。

 ところで、27日夕刻に開かれたchairpersons dinnerの時に友人からある悲報を受け取った。フランス国立研究所CSTBのY.Gabillet氏が今年の1月に亡くなったとのこと。道路交通騒音の予測モデルMithraを開発した人で、小林理研の我々にもいつも好意を寄せてくれた。Harmonizeにはもっともふさわしい人であった。

↑先頭へ戻る   (所長 山本貢平)

インターノイズ参加、Airbus社・Malpensa空港訪問

 Inter.noise 2000は新しい時代の始まりを予感させる会議だった。参加申込みや原稿送付をホームページ経由で行った他、空港騒音のセッションオーガナイズを担当して招待講演の勧誘からプログラム修正をめぐる実行委員会との交渉まで全て電子メールで行った。論文を事前にインターネットを介して読めたのも良かった(ただし、画像処理が悪く図の仕上りは今一つだった)。しかし、件数が多過ぎたために、ポスター発表に回されたものも多く、口頭発表も内容的に関連する論文が別の部屋で同時に発表された場合が少なからずあって会議のあり方に検討の余地を残した。論文集はCDROMでの配布が基本となったが、会議に間に合わず遅れて送付されることになった。会議内容については、全体のテーマが交通と社会騒音とされたこともあって興味深い発表が多かったが、普段あまり見られない交通騒音対策に関する経済分析の発表等が面白かった。
  インターノイズの後、新東京国際空港公団、新東京国際空港振興協会の方々に同行してToulouseのAirbus IndustrieとMilanoのMalpensa空港を訪れた。どちらも情報交流を意図したものである。Airbusは、ご存知の通り、A300やA320などの旅客機を作っている会社で、今A3XXという超大型旅客機の製造準備をしている。その大きさはB747とそう違わないが、総二階建てで700-800人もの乗客が載せられる。2005年末〜2006年中頃にわが国の空も飛ぶことになるという。モックアップ(実物模型)を見せて貰ったが、横に並んだA300が小さく見えた。ライバルのBoeingと激しい商戦を行っているため、写真はもちろん撮らせて貰えなかったが、社内立ち入りに際してパスポートまで預けさせられたのには驚いてしまった。一方、Malpensa空港はファッションの拠点として有名なミラノの国際空港で二本の滑走路を使って年間17万回の発着がある。空港に降り立つと雪を被ったモンテローザなどアルプスの山々が見えた。会議室に案内されて空港の現況や環境対策の説明を聞いたが、室内にパンや飲み物が並べられ、最高のもてなし方であった。その後、管制塔と空港場外の浄水施設を見学した。航空機騒音の監視については、自動測定器を用い、レーダー情報とリンクして処理しているそうだが、音源を識別する特別な工夫はないようで、音の到来方向を検出する当方の手法の説明を興味深く聞いてくれた。なお、環境対策で特徴的だったのは飛行経路下の騒音を緩和するため、一日を3時間帯に分けて離着陸する滑走路を交互に切り替えていたことである。

(常務理事 山田一郎)

-先頭へ戻る-