1992/4
No.36
1. 欧米における騒音事情 2. 航空機騒音の到来方向の変化の検出 3. 小型振動個人ばく露計の開発研究 4. inter-noise'91 in SYDNEY 5. リアルタイムアナライザ SA-27を用いた自動測定のできる超小型残響時間計
       <会議報告>
 inter-noise'91 in SYDNEY

騒音振動第四研究室 松 本 敏 雄

 インターノイズ'91は12月2日から4日の3日間、爽やかな初夏を迎えたオーストラリアのシドニーで開催された。シドニーはオーストラリアで最も古く、最も大きな都市である。会場はその中心から南東に5kmほど離れたNew South Wales大学のKensigntonキャンパスが当てられた。日本からの参加者は距離的に近いということもあって、開催国オーストラリアの次に多く、研究所からは山下所長、金沢物理研究室室長と私が出席した。私にとっては初めての海外での発表であった。この会議の模様を私の珍道中を交えて報告する。

 国内の学会発表もままならない私にとっては、外国に行って英語で発表することなど想像もできない話である。しかし、行くからには少しでも自分の研究を外国の研究者に理解してもらおうと思い、半年前から英会話学校に通い、日夜英語に没頭した。が、そう簡単に英語力が身につくはずもなく、結局「不安」が服を着て出発することになった。

 滞在期間は会議の前日から終了した翌日までという慌ただしい日程であった。直行便で約9時間の空の旅の後、12月1日の早朝にシドニーのKingsford Smith国際空港に到着した。慣れない海外旅行、発表に対する緊張、狭い座席のお陰で機内ではほとんど眠れなかった。この日は会議の参加登録だけなので、到着後とりあえずホテルに向かった。一息ついた後、登録までの時間を利用して、シドニーの中心部まで散策することにした。シドニーは初夏であったが、からっとしていて予想以上に過ごしやすく、汗かきの私には非常に有り難かった。30分程歩くとオペラハウスが見えてきた。大学で建築を専攻していた私にとっては、実物を見たかった建築物の一つであった。あの貝殻をモチーフにしたデザインを目の当りにして、写真では味わえぬ感動をおぼえた。

 会場に行くと既に多くの参加者が来ていた。背の高い外国人の間をうろうろしながらやっとの思いで参加登録を済せ、予稿集やプログラムの入った鞄を受けとった。すぐに、来る前から心配だった発表順をプログラムで確認した。早く終わればそれだけ早く楽になれるのにと思っていたが、残念ながら最終日の午前のセッションの5番目であった。これから発表までの時間を考えると途方に暮れたが、私の発表するセッションの座長に前川先生の名前があったので、気分的に少し楽になった。しかし、私にとっては試練の三日間であることには変わりはない。参加登録後、所長に多くの外国の研究者を紹介していただいた。しかし、INCE会長のW.Lang博士、組織委員長のA.Lawrence教授、カナダのT.Embleton博士、フランスのJ.Mattei博士など錚々たる顔ぶれで、自己紹介をするだけで精一杯で、話をすることができなかったのは非常に残念であった。

 ホテルに戻ってから、部屋の異常な広さに気付いた。このホテルは通常は一泊$A300の高級ホテルであるが、会議参加者はディスカウントされて半額であったことを思い出した。寝不足なので早々にベッドに入ったが、昼食の時、食後のコーヒーを注文したところ、ビールのお替りが出てきてしまったこと、地下鉄に乗るためにキップを買った時、「for〜」か「four〜」と聞こえたらしく、3人しかいないのにキップを四枚くれたこと等、昼間の失敗を思い出し、この英語力では先行きが不安になり、明日からのことを考えているうちに眠れなくなり、気が付いたら既に明け方になっていた。

 2日9時からいよいよインターノイズが始まった。学内のオーディトリュウムでオープニングセレモニーとスウェーデンのT.Kihlman教授の特別講演が行われた。その後、9つの会場で並行して各セッションが進められた。午後から2、3の発表を聴いたか???であった。

 明けて3日は、あちこちのセッション会場を聴いて回った。午後のセッションのころには会議の雰囲気にもだいぶ慣れてきた。この日は講演終了後、ロックス(シドニーの繁華街)でカンファレンスディナーが催された。所長と二人で日本人のいないテーブルに座り、外国人と英語を話すいい機会であったが、結局まともに話をすることはできなかった。翌日は自分の発表が控えているため、食事も程ほどにホテルに戻り、所長に発表の最終チェックを受けた。

 そして発表当日、朝6時に起床し最終の練習をした後、早めに会場に向かった。会場の学食で朝食を取ったが、味も何も分からなかった。発表会場に入り、座長の前川先生と副座長のD.J.Saunders博士に挨拶をし、席に着いて自分の発表の順番を待った。2番、3番と自分の発表が近づくにつれ、鼓動が体全体に響き、心臓が口から飛び出しそうであった。私の前の発表者の時にスライドプロジェクターが故障して、会場内に幾らか白けた雰囲気が漂う中、遂に自分の順番が回ってきた。副座長に紹介され、「Thank you Mr.Chairman」と言った瞬間に頭の中が真っ白になり、話そうとしていたことが遥か彼方に飛んでいってしまった。あれだけ練習したのにと思いながら、発表原稿に目をやり、OHPで図を説明しているうちに徐々に思い出し、その後は原稿を見なくても話すことができた。そして最後の難関、質疑応答の時間がやってきた。4人からの質問に前川先生に助けてもらいながら何とか答えることができたが、質問は音に関係のないことばかりであった。講演終了後、所長や時田先生、前川先生にまで「大成功だった。」との言葉をかけていただき、身に余る光栄であった。この後、吸ったタバコの美味しかったこと。

 セッション終了後、香港の人から興味があるので詳しい内容を教えてくれと言われ、拙い英語を身振り手振りでカバーしながら説明した。私の研究に外国の研究者が興味を示してくれ、この会議に参加できて本当に良かったと思った。しかし、自分の発表が終われば楽なもので、その後はボーとしていたのは言うまでもない。

 ここで、少しオーストラリアの印象を述べると、オーストラリアの人々は、皆明るく気さくでのんびりと暮らしているように見えた。ただ、歩いている人がほとんど信号を守らないことには驚いた。しかし、「郷に入っては郷に従え」とは良く言ったもので、最後の日には先頭きって信号を無視していたのは自分であった。また、経済大国日本を象徴してか、お店に行けば必ず日本語を話せる人がいた。そのため、英語で買い物をしようと店に入った時に、「いらっしやいませ」の一言で何度気勢をそがれたことか。来る前からオーストラリア英語には訛があると聴いていたが、タクシーに乗った時に女性のタクシードライバーの口からその訛が発せられた。「トゥダイ」や「ガイ」という発音に最初は分からなかったが、話の前後から"today"と"gay"であることが分った。

 3日間の会議も無事終了し、すっきりした顔をして、帰国の途についた。今回の会議に参加できたことは、私にとっては貴重な体験であった。近年まれに見る緊張感を味わい、逆に物事を成し遂げた時の満足感も味わうことができた。また、数多い失敗談から、英語力の無さを痛感し、またこのような機会があった時には、もう少し思っていることを相手に伝えられるように英会話学校に通っている今日この頃である。

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