1992/1
No.35
1. 迎 春 2. 木造家屋の振動増幅特性(振動増幅の周波数的特徴) 3. デジタル補聴器 HD-10 (DIGITALIAN)
  
 迎 春   1992 元旦

所長 山 下 充 康

 英泉による「木曾街道・日本橋、雪之曙」。

 初春に相応しい版画であるように思う。日の出を待っての旅立ちで賑わう日本橋の様子を題材にした作品である。立ち並ぶ蔵の屋根や橋の欄干には前夜に降り積もったであろう雪が残っているから季節は冬。しかし東の空に赤々と昇る朝日が春の近い暖かな冬の朝を感じさせている。

 下帯だけの人夫たちが押す荷車は橋を渡りかけている。橋のたもとでは威勢の良い若い衆が大きな魚を並べたざるを差し上げて、魚屋は早くも商いを始めている様子である。道端で立ち話をする女のわきを足早に行き交う旅姿の人々がいる。

 ところで、この絵を見る時、絵の中に様々な「音」が描き込まれていることに気が付く。荷車を押す人夫の掛け声、轍の音、商いをする魚屋の声、女たちのお喋り、旅人たちの足音、空からは鳥の鳴き声も聞こえてくる。ここに描かれた日本橋界隅には静寂は無い。まさに大江戸からの旅立ちの起点である日本橋に見られたであろう早朝の賑わいが感じられる風景画である。

 それでいて、賑わいを見せるのはここだけで、雪の積もった江戸の町は朝の静けさに包まれている。

 十九世紀前半、江戸時代の末期、それまで風俗画を中心に全盛を誇っていた浮世絵の世界に風景画が登場する。北斉の「富嶽三十六景」、広重の「東海道五十三次」、英泉と広重の合作「木曾街道六十九次」などの傑作シリーズが次々に発行されて庶民の間で大層な人気を呼んだ。それらの作品の幾つかは、今日でも土産物の包装紙やマッチなどの日用品の装飾に使われているのを目にすることができる。

 1800年代の初頭、町人大衆の間には美人画や芝居の役者の似顔桧を中心とした風俗画が氾濫し、浮世絵は爛熟期をむかえていた。そんな中で、それらの風俗画に感じられる低趣味で退廃的な雰囲気に浸り切った庶民の目の前に登場したのが風景を題材にした街道版画である。各地の名所旧跡や自然風土を描いた風景画は、美人画に鉋いた大衆に爽やかな衝撃をもって歓迎されたらしい。

 風俗画をベースに開発され、厳しく鍛えられた浮き世絵師たちの木版画の技術は、数々の質の高い風景画を世に送り出すことになる。おりしも、オランダ、イギリス、ロシヤなど列強諸国の日本への接触が始まったのが一つのきっかけとなって、庶民の間に自分の国土に対する関心が高まりつつあった。伊能忠敬が東海、北陸の海岸線を測量したり(1801年)、間宮林蔵の樺太探検(1802年)、そして十返合一九の「東海道中膝栗毛」(1802年)が刊行されたのもこの時代である。

 これらの風景画は高度な木版技術が作り出す独特の色彩と大胆にディフォルメされた斬新な構図が特徴で、印象派絵画に強い影響を与えたとも言われている。

 ほのぼのと明ける空、たそがれどきのタ闇、晴れ渡る空、霧にかすむ並木、雨にけぶる川面、岩をかむ奔流、雷の峠路…街道筋に見られたこれらの風景が見る者をして情感豊かな旅愁に誘い込んだことであろう。

 これらの木版画でとくに興味を引くのは、見事に描かれた自然風土の情景もさることながら、随所に見られる人間の振る舞いである。道を尋ねる旅人、物乞いをする者、きせるに火を点ける馬方、夕立に合羽の裾を合わせる旅人、そんな人々の姿が絵葉書的な自然を背景に様々なパフォーマンスを演じている。

 人の活動には必ず音が伴う。この街道シリーズでは、人の振る舞いを風景画に描き添えることによって見る者に音を想像させる。そしてその音が絵の雰囲気に強いインパクトを与え、単なる風景画にとどまらない独特の魅力を感じさせる大きな要素になっている。

 こういった音表現は、日本橋の賑わいを描いた「雪之曙」に限らず、このシリーズのすべての作品に共通しており、一つ一つの作品を見ながらそこに描かれている音に耳を傾けると、飽くことを知らない。作者の構図の工夫と音表現の技法は見事としか言いようが無い。

 無声映画の時代、制作者の苦労の一つに、音のしない画面の上でいかに音を表現するかという課題があったそうである。暴走する列車の轟音、自動車の衝突、ダイナマイトの爆発などの音を無音のスクリーンから観客に感じさせるために随分苦心したらしい。そう聞いて当時の名優と言われた俳優の演技を見ると、声無き声、音無き音を上手に聞かせてくれているように感じる。

 街道版画の制作者たちも一枚の作品の中に様々な形で音風景を表現しようと努力したに違いない。道を尋ねる旅人の会話や馬を引く馬子の掛け声などの人為的な音の他にも河のせせらぎ、落下する滝の水音、しのつく雨音のような自然の音を聞かせるものもある。

 音が描き込まれた街道風景版画はそれを見る者の心に各人各様の音感覚を呼び起こし、描かれた風景と相まって旅愁を強く誘ったことであろう。絵を見ているうちに思い起こされるのは体験的に記憶されている音感覚であり、これが文章で書かれた解説などよりもはるかに直接的で魅力的な説明になっていたに違いない。街道版画の人気を支えた大きな要素の一つは、見る者に想像をゆだねる音感覚の部分を残し、絵の中ではその糸口だけを与えていることにあるように思う。

 作者は絵を見る者が各々勝手に音を想像することを期待しているから、これらの版画に登場する音は謙虚であって決して厚かましくない。日常体験の中で当たり前に耳にしているか、どこかでいつか聞いたことのあるような音をさり気なく描き込んでいる。

 初春にあたって、日本人が培って来た音との素晴らしい付き合い方について考えてみた次第である。

 本文は山下著[音饗額−名画に探る音の不思議−建築技術]の一部に加筆したものである。

山下充康著  音饗額
−名画に探る音の不思議−
建築技術 ¥1,600  1991年12月発刊

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