1989/7
No.25
1. 航空機の音(ICAO騒音会議-現在) 2. ポータブル蓄音機 SOUND BOX 3. 振動ピックアップのラウンドロビンテスト 4. 2チャンネル耳かけ形補聴器アークII(HB-38)について
       <骨董品シリーズ その7>
 ポータブル蓄音機 SOUND BOX

所 長 山 下 充 康

 音楽を楽しもうとするとき、レコード店に出掛けて好みのレコードを手に入れ、それを買って来ればいとも容易に名曲、名演奏を観賞することができる。レコードと言っても再生の手軽さからLPなどのディスクよりもカセットテープ、さらにはテープよりもコンパクトディスクと言うようにこの数年に見られるオーディオの録音再生の技術的な進歩は目まぐるしさを感じるほどめざましいものがある。

 小型で軽量な再生機器も豊富に出回り、一家に一台どころか一人でいくつもの機種を所持していて、とくにヤングのいる家庭では型の旧くなったラジカセ、ウォークマン、CDプレーヤー等々がごろごろしている光景も珍しくない。音楽の楽しみ方も今や個人ごとに個別で、混雑した電車の中でもベッドの中でも周辺状況に捕われずに好みの曲を各人で聞くことが出来る。一家そろって再生装置を囲んでレコードに耳を傾けるなどは奇異な事柄になってしまった。

 戦災で焼け野原になった東京に復興のきざしが見え始めたころ、疎開先から一台のポータブル蓄音機が我家に送り返されてきた。ゼンマイを巻き上げる大きな鋳物のハンドルが突き出した木箱の蓋を開けるとフェルトが貼られたターンテーブルとやけに頑丈な真珠パイプで作られたアーム、沢山のレコード針の入れられたインク壷のような二つの小さな凹みが印象的だったことを憶えている。終戦直後のことでレコード盤の入手は容易でない。焼け残った謡曲やら戦時歌謡、童謡やらヤミ市で買った米軍の中古レコードを、針を取り替えては何度も繰り返して聞いた。

 レコード針も金属の針と竹製の針があって、レコードを一面聞くごとに針を新しいものと交換した。その時の針をねじ止めした部分が今回取り上げる「サウンドボックス」である。

 当時の家庭用再生装置は電気蓄音機、いわゆる電蓄であって、サウンドボックスは専らポータブル蓄音機に使われていた。レコード盤の溝に刻まれた小さな信号を検出して機械的に音に変えて放射する懐かしいこの装置が研究所の棚の隈から幾つも転がり出てきた。おそらくサウンドボックスの研究の名残であろう。中にはバラバラに分解されたものや後から手を加えられたような痕跡をとどめているものもある。(写真-1)

写真 1 サウンドボックスたち

 国産品だけではなく輸入品もあって、細かい部分は個々に異なっているが、基本的には同じ構造である。直径が6cmほどの円板状の金属の塊で手に取るとずしりと重い。片側はアームに固定するための大きな穴が中央に開けられた蓋、その反対側には透かし彫りの施された金属板のカバーが取付けられている。このカバーから覗くと、同心円状に壁の付けられた金属箔が張られている。箔の中央に接するように細い針のような支柱が固定されていて、支柱の反対側は本体の縁に延びていてこの部分にレコード針がねじ止めされるようになっている。その構造の概略を図-1に示した。

図 1 サウンドボックスの構造

 プラスチックや接着剤の使われていない金属だらけの細工物で、各所に見られるビスとナットの輝きを見ていると重量感があって大変心地好い。

 ニュースの骨董品シリーズに紹介しようかと考えながらサウンドボックスをひねくり回しているところに五十嵐理事長が恰好の文献をコピーして来て下さった。

 昭和23年に発行された東京大学理工学研究所報告:物理学「蓄音機の研究-その1、音響性能について(佐藤、五十嵐、荒井)」。40年以上昔の論文である。

 《前をき》の書き出しの部分には次のように記されている(舊活字を現在の活字に変えた他は原文のまま)。

 「本研究はポータブル蓄音機の輸出が問題となり商工省が中心となって輸出用蓄音機の標準規格を決定することになりその資料を得る為に行ったものである。

 蓄音機の性能を表すには機械的なものと音響的なものとに区別するのが便利である。機械的性能ではサウンドボックスの正常な運動、レコードが水平に一様な回転を行う条件に対する精度が問題になり、音響的性能では蓄音機の音量、音質並びに音の歪の三つが問題になる。(中略)音響的性能に就てはどの会社でも専ら聴覚に頼っていて定量的な測定はこれまで行われていないし外国文献にもそうした測定は無い様である。

 聴覚に依る良否の判定は熟練した聴取者では充分判定を下し得るのであるが、それは結局主観的な判定であって、人に依りまた聴取者の心理状態に依って左右されるから、標準規格を定める定量的な根拠をもたないのである。そこで著者等は周波数レコードを使用して完全な防音室内で蓄音機の音響性能を定量的に測定することに成功し、蓄音機の各部分の其の性能に及ぼす影響を審しくしらべることが出来た。」

 そして実験の方法であるが、「コロンビア会社製のテストレコード」を繰り返しかけては電磁オッシログラフで波形を観測している(図-2)。蓄針(レコード針)にはクロム針を使ったらしいが30回もかけるとレコード盤は擦り切れたとのことである。

図 2

 実験に使われたマイクロホンはクリスタルマイクロホンで、感度は良いけれど、周波数特性は100Hzから3kHzまではフラットであるが、5kHzに大きなピークを持つという今から見ると酷いシロ物である。ポータブル蓄音機からの音には200-3000Hzの周波数成分しか含まれていないので実際にはマイクロホンの周波数特性の難点は避けられているが、クリスタルマイクロホンによる実験には大層な苦労があったらしい。

 例えば、図-3に示したのは蓄音機の中から1mの距離で観測された音圧レベルの一例であるが、このデータを得る際にレコードの溝を針が摩擦する音が60dBを越えて大いに測定の邪魔になったとのことである。(この60dBは無音溝レコードを使って測定された。)

図 3

 電蓄であれば増幅器によって音量調節ができたが、ポータブル蓄音機では専らサウンドボックスからの音が頼りで、音量の制御は出来ない。田口み三郎先生の随筆にサウンドボックスの善し悪しは音の大きさによって判断したとの記述がある。

 「音楽世界:昭和9年7月号:

 …(略)…ある蓄音機製造者がやってきて言いますには、『自分のところでサウンドボックスを作って問屋に納めると、いちいち試験をするんですが、変てこな番頭みたいな奴が居て、音が小さいから返品だといってハネられる。音質はどうでも声の大きさを試験する機械を作ってほしい』と言うのです。」

 サウンドボックスたちを見ていると個々の工夫に感心させられる。残念ながら五十嵐先生から頂戴したもの以外に関係文献が殆ど見当たらなかった。

 振動板をなぜ複数の薄膜で構成したのか、なぜこんなに重量が必要なのか。この拙文を読まれた方でサウンドボックスについて御存じであれば知らせていただきたい。

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