1987/10
No.18
1. 20周年を迎えた「母と子の教室」 2. 振動ピックアップの比較校正 3. 1/Nオクターブ実時間分析器(SA-26) 4. 人間と関係のある振動の測定器規格
       
 20周年を迎えた「母と子の教室」

理事長 五 十 嵐 寿 一

 小林理学研究所の中には、難聴でお困りの乳幼児の教育施設として「母と子の教室」がありますが、これが開設されて20年を経過し、去る8月23日日本青年会館において20周年の記念式典を行いました。教室にはこれまで来室したお子さんの父母を中心とした「親の会」があって、終始教室の活動を援助していただきました。この会も今年、発足15周年を迎えることになって合同の行事といたしました。式典には来賓、父母約200名の御参集を得て盛大な会を開くことができました。研究所としては、「母と子の教室のあゆみ」という20周年記念誌を発行しこの間の教室の活動と成果、多くの方々の教室への御援助について記録としてまとめました。

 難聴にお困りのお子さんについて、残っている聴力をできるだけ活用して社会にでられるようにしようということで教室をスタートしたのが昭和42年であります。現在音響を専門としている小林理学研究所が「母と子の教室」を開設するようになった背景を過去の記録から調べてみますと、約40年前に遡ります。昭和22年、研究所において戦時中に開発されたクリスタイルマイクロホンを小型にした補聴器を試作いたしました。これを契機に医学者、聾教育者との共同研究がはじまり、文部省の科学研究費の交付を受けて補聴研究会ができました。またこの成果を製品化することをリオン株式会社が引き受けることになりました。昭和40年頃になり補聴器もトランジスター化されて小型になったのをうけて、前記補聴研究会(会長切替東大教授)は補聴器を幼児に装着させて早期教育を行うことを提案し、昭和41年11月岡本途也現昭和大学教授(本所理事)今井秀雄現国立特殊研究所研究部長、当時東京教育大学付属聾学校の金山千代子の3氏によるチームワークで幼児教室が新宿の池田ビルで発足いたしました。これが翌年になって「母と子の教室」と改称されることになります。この間教室の設立については、補聴研究会の切替教授、東京教育大学付属聾学校の萩原浅五郎先生、前理事長で当時リオンの会長でもあった佐藤孝二先生の聾教育に対する熱意と御努力があったことは特筆する必要があります。

 このようにして発足した教室ですが、最初は聴力損失80デシベルまでのお子さんを対象として補聴器を着用した指導を行い大きな成果を収めました。これも教室専任となった金山室長をはじめ職員の並々ならぬ苦心とお子さんの両親、特にお母さん方の努力によるものでした。

 このような教育をさらに広く普及させたいと考え、昭和50年頃文部省、厚生省に出向いて特殊教育の関係者に国の援助を要請いたしましたが、当時文部省としては学齢以下は補助の対象にならないということでした。また厚生省においては難聴より重度の障害者に対する補助も充分できていない状態なのでという返事で、国の援助をうることの困難なことがわかりました。

 その後教室では卒業生が小学校、中学校の普通クラスに進むお子さんもあって、さらに積極的に聴力損失100dB以上のお子さんも受け入れてその教育方法の研究にも取り組みま した。現在迄の20年間に教室に相談に来所された数は3,052名、教室で実地の指導を受けたお子さんは、269名になり、現在大学課程を終えて就職している卒業生もすでに数名を数えるにいたりました。今回の記念式典において、すでに成年になった教室の卒業生によって「成年の主張」が発表されましたが、難聴とは思えない立派な弁論でした。いままでの苦労や社会の受入れ方に対するハンディキャップをもつ者の悩みを聴いて、改めて胸の熱くなる思いをいたしました。

 お陰様でこの教室も補聴器という媒体によって他に例をみない立派な聾教育の成果をあげてまいりましたが、この施設でお子さんを指導できるのは1年間約20名程度が限度であることはまことに残念で、このような教育をいかに普及し、難聴の方々に貢献できるかが今後に残された重要な課題と考えます。

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