2012/10
No.118
1. 巻頭言 2. inter-noise 2012 3. 集音マイクロホン 4. 精密騒音計(低周波音測定機能付) NL-62
   

 
  ロングスパン            

補聴器研究室 室長   田 矢 晃 一

 今年8月、私は満60歳となり、定年を迎えた。ここまで勤め上げられたのは偏に私の上司、同僚並びに関係各位の暖かいご支援、ご声援のおかげと感謝している次第である。60年といえばかなり長い年月である。ということで今回は長いお話をさせて頂きたい。私の中で長いものといえば、真先にマラソンが思いつく。

 私はマラソンが好きだ。勿論観戦のみで自分で走ることは到底できない。東京オリンピックでアベベ選手がトップでゴールした後、悠々と整理体操をしている姿を見て、何て凄い人なのだと感動して以来、テレビでマラソンの中継があるときはほとんど、スタートからゴールまで一瞬の瞬きも惜しむようにして観ている。一昔前の海外で行われるマラソン中継ではラップタイムが出ないことが多く、このときは手元にストップウォッチを用意し、5 km毎のラップタイムを記録しながら観戦していた。

 私にとってのマラソンの魅力とは、超人達を目の当たりにできることにある。私も学生時代は、皇居一周5 kmのコースを毎日のように走っていたが、5 kmのラップタイムが18分を切ることはなかった。しかし、マラソンランナーは5 kmを15分で刻み続けて行く。100 mを18秒、1 kmを3分、5 kmを15分で走り続けることが如何に超人的であるか、私にはその偉大さがひしひしと伝わってくる。しかし、距離を重ねる内にやがて超人達にも限界が訪れ、徐々にそのペースが乱れて行く。その限界の走りを見ると、また感動がこみ上げて来る。

 もし5 kmを15分のペースでゴールまで走りぬくと、42.195 kmで2時間6分35秒となるが、今や世界記録はその究極のタイムより3分も早い2時間3分38秒となっている。世界記録10傑を見ると、ケニアとエチオピア勢の脚が長く細い選手ばかりで、かつてマラソン王国と呼ばれた日本の栄光は遥か昔の夢のように感じられる。

 さて、私は今補聴器研究室に在籍している。補聴器の歴史は長く、その誕生については諸説あるが、現在とほぼ同じ形状のトランジスタ補聴器が開発されたのは私の誕生年と同じ1952年、今から60年前のことである。それ以来、日本の補聴器は、特にフィッティングの技術において諸外国をリードしてきた感があるが、デジタル時代の到来と共に「脚の長い」外国勢の大資本に押され気味となっている。しかし、補聴器は補聴機器というよりも聴覚器官の一部と捉えるべきである。それ故、万人に同じものではなく、一人一人に最適なフィッティングが必要になる。これを匠の技から理論に基づいたバイオテクノロジーへと昇華すれば、外国勢を大きく引き離す原動力になるに違いない。

 私が当所へ入所するとき、面倒を見て頂いた時田保夫顧問は、私が定年を迎え、隠居生活を考えようとする現在でも現役でご活躍されている。60歳はまだまだ一つのスパンに過ぎず、次なるロングスパンが待っていると示唆されているようである。スタートラインに立ったばかりの私には次のスパンがどれ程長いのか予測できるはずもないが、先達の教えに従い、確かな一歩を踏み出したいと考えている。

 

−先頭へ戻る−