2012/1
No.115
1. 巻頭言 2. CANSMART & CINDE 2011 3. ストップウォッチ 4. ハンドヘルドパーティクルカウンタ KC-52 / KC-51
 

 
  年頭のご挨拶 「お見舞い申し上げます」            

理事長   山 下 充 康

 昨年の日本国は沢山の災害に見舞われました。震災、大津波、豪雨、原発事故、堰止湖問題、どれも人間の力では対応しきれない事柄に翻弄された一年でした。不幸にして亡くなられた方々には衷心よりお悔やみ申し上げる次第です。合掌。

 私事になりますが3月11日の大震災発生の時期には病室に監禁されていました。毎日のように採血検査を受けては点滴、50日ほど病室に拘束されていたのですが、震災の起きた3月11日にはロッカーが倒れるやら、キャスター付のベッドは床の上を駆け回るやらの大騒ぎでした。他にすることもないままにテレビを見て過ごしましたが、震災と津波のテレビ報道番組を見ては「日本国はこれで終焉を迎えた」と思っていたものでした。やがて「頑張れ日本」「東北の底力」・・・などの用語が頻繁に耳に飛び込み、沢山のボランティア活動、国内や海外からの義捐金が寄せられ、復旧復興への活動が活発に進められているのは皆様ご存知のとおりです。私どもの研究所の若い職員も現場測定時に使用する大きなワゴン車に物資を満載して被災地に駆けつけました。釘を踏み抜かないように鉄板で底を補強した特殊なブーツを履いて廃材撤去作業に従事したそうです。「現地の状況はテレビの画面で見るのとはまるで違う」と激しく破壊された被災地の様子に唖然としていました。

 太平洋戦争終結の時期にも日本の国土全域が荒廃し、日本国民の心の拠りどころが根底から失われたものです。今回の大災害を戦争と並べて論じるのには適切さを欠く部分もありますが、いずれもメチャクチャになった日本国を立て直したのは、日本人の心に育成されてきた「謙虚さ」と「人々の絆」の強さであったように感じます。暴動や略奪が起こるわけではなく、「譲り合い」「助け合い」の話題が頻繁に聞かれたものでした。

 昨年は女子サッカーチームの活躍をはじめ明るい出来事も少なくなかったのですが、新年のご挨拶に代えて不幸な災害について申し述べることにいたしました。地震や津波は予想のつかない時期と規模で人里を襲います。「油断」しないようにと声高に叫ばれていますが、悲しいかなこの心構えが長続きするとは思えません。落ち着きが戻れば今のような緊張感は薄れることでしょう。余震、誘発地震が頻発している間は「非常持ち出し袋」に思いが至るのでしょうが、そんな気持ちもいつまで続くやら・・・。今はただ、被災された方々に平常の生活が一日も早く取り戻せるよう願って止みません。

 

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