2011/10
No.114
1. 巻頭言 2. inter-noise 2011 3. 第14回エレクトレット国際会議 4. メトロノーム
  5. 補聴器 リオネットロゼ II

 
  インターノイズ2011大阪            

所 長   山 本 貢 平

 その日の朝早く目が覚めると、太陽の光が窓から宿泊所の部屋の奥深くに注ぎ込んでいた。「おや、変だな?」とひとり呟く。その日とは大阪国際会議場で開かれたインターノイズ2011の初日、すなわち開会式の日のことである。足かけ4年半の準備期間を経て、緊張感の中でこの日に臨んでいたところである。ところが数日前より、こともあろうか大型の台風12号がこの大阪めがけて接近しており、誰しもインターノイズの開会式は暴風雨の中で開かれるものと覚悟をしていたのであった。それゆえ、雲間から覗く朝日は奇妙な印象を与えたのであった。実行委員長は当所監事の山田一郎氏が、私はその補佐として事務局長を務めた。雨男の山田さんと晴れ男の私の影響で、幸いにも曇り空で状況が進んだと解釈している。

 今回は、日本で開かれる3回目のインターノイズであった。その準備期間中にはさまざまな困難に遭遇し、心配の種は尽きなかった。第一の困難は急速な円高。この4年間に、1ユーロが170円前後であったのが110円に高騰し、1ドルが120円であったのが76円前後の高値を付けていた。それゆえ、欧米から日本への渡航は経済的に大きな負担を強いられることが予想され、参加者の減少を懸念した。もう一つの困難は、今年3月11日に東北地方で発生した大地震・大津波とそれに続く福島の原発事故の影響である。欧州から日本を見ると、大津波は太平洋岸から日本列島に侵入し、日本海にまで達したとの誤解があり、さらに福島原発の放射性物質は日本列島全体を汚染しているとも伝えられていたようだ。そのような誤解や風評もあって、3月11日までにインターノイズに発表したいという意思を示していた人々のおよそ30%が、論文の提出を断念したのは大きな痛手であった。その上、冒頭述べた会議開催直前の台風襲来によって海外からの航空交通が混乱し、フライトキャンセルも続出して苦労しながら日本にやってこられた参加者も多くあった。

 このような多くの困難を経てきたが、最終的には674件の論文発表を得ることができ、また38か国から953人の参加登録者を得ることができた(正確な数字は今後集計される)。また、このインターノイズ開催に当たり多くの団体や企業から経済的な支援を受けることができた。開催一か月前まで収支バランスがとれず、われわれ実行委員は眠れ 日々を過ごしていたが、ようやく目途が立ったのは本当に開催直前のことであった。ご協力いただいた多くの方々に感謝の意を表したい。また、会議運営をスムーズに運べたのは、PCOと呼ばれる会議運営専門会社のスタッフの力であった。おかげで新旧多様な環境の下で作成されたパワーポイントファイルを容易に受け入れ、トラブルなく発表ができた。また、昨今、高度なセキュリティをもつクレジットカードを安全に受け付けて参加登録を推進できたのもこれらの会社スタッフのおかげである。プロの持ち味を見せてもらった。感謝の限りである。

 

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