2009/10
No.106
1. 巻頭言 2. inter-noise2009 3. 鉄の代用:陶器の配電用具 4. 第34回ピエゾサロン
  5. 純水中パーティクルカウンタ KL-30A

    <骨董品シリーズ その71>
 鉄が足りない !! −鉄の代用:陶器の配電用具−

理事長  山 下 充 康

 昭和20年、終戦を直前にして首都東京はB29による大空襲の洗礼を受けた。3月には下町、5月には山の手地域一帯が爆撃にあって、拙宅が位置していた六本木にも多数の焼夷弾が降り注いで一面の焼け野原と化した。

 当時の日本家屋は木造だったから爆弾ではなく家屋の燃焼を目的とした焼夷弾が多用されたらしい。

 探照灯(サーチライト)に照らし出された大型爆撃機から投下された焼夷弾の炎が夜空に花火のようにチラチラと広がりながら落下する様子は、防空壕から見上げた子供の目には怖ろしい光景として映ったことであった。

 図1は消失した我が家の焼け跡から出てきた鉄製の筒、いわゆる焼夷弾の発火部分である。今日では赤錆が浮いた鉄製の筒であるが、筒の中には点火用の火薬とゼリー状の油脂(ナパーム剤)が充填されていてこれが家屋や地表に当たると内容物が飛散して周囲に激しく火炎を振りまく構造である。鉄製だから重い(空の筒の重さは約1.3 kg)。空襲の折にはこれの直撃を受けて死亡した市民も少なくなかったとのことである。雨霰と降り注ぐ焼夷弾は鉄製であったが終戦間近のこの時期、わが国には鉄が極端に不足していた(図1)。

図1 赤錆だらけの焼夷弾のカラ (全長 約500o, 重量 約1.3kg)

 兵器、武器には鉄が不可欠である。貴金属類を含めて民間が保有するあらゆる金属を愛国戦時供出の名の下に提出させられたものである。

 金属、特に鉄が不足するとこれに代る代用品が登場する。鉄の代用品には瀬戸物が使われた。兵器としては瀬戸物の地雷、瀬戸物の手榴弾などが造られたのもこの時代、民間では缶詰の代用品として瀬戸物の真空容器が出回っていた。当時の配給品の中に福神漬、海苔の佃煮、コーンビーフなどの食料品があり、これらの配給食品は内部が真空に加工処理された瀬戸物の容器に納められていた。蓋の中央を釘などで叩くとその部分が欠けて外気が内部に入り容易に蓋を外すことが出来る。マグカップほどの大きさの容器であった。白い陶器で、機密性を保つために内側にも上薬が塗られていた。藍色で側面に「防衛食」と書かれた瀬戸物の器が鉄の不足していた当時の状況を物語っている(図2)。
図2 防衛食の容器(左)と蓋(右)

 今日では日常的に眼にするテーブルタップ。プラスティックを整形して様々な形のテーブルタップが作られているけれど、鉄をはじめベークライトなどの化学工業製品の不足していた時期には瀬戸物で作られたテーブルタップが使われていた(図3)。

 家庭電化製品が普及した今日では電源として部屋の壁にはACコンセントが常設され、そこからACコードを引き出してテーブルタップが電気を供給する。テーブルタップは配線器具として不可欠な存在になっている。一般の家庭はもとより研究室や実験室にはテーブルタップが無数に転がっているのが実情である。テーブルタップは目立つ存在ではないが、生活を営むには大きな役割を担っていると言えよう。

 今日ほど電気に頼る生活ではなかったが、研究室や実験室では分析器や計算機などに電気は不可欠で、テーブルタップは実験テーブルごとに取り付けられていた。

 テーブルタップといってもプラスティックの登場以前で、金属も不足していた時代であったから今日のそれのようにデザインや色が洗練されたものではなかった。

 絶縁性が優れていて整形が容易なことから瀬戸物が電気配線器具に頻繁に使われていたものである。テーブルタップ、電球のソケット・・・肉厚で重いことから今日ではプラスティックに取って代わられてしまったが、日本国内の資源不足を補うために作られた配線器具にはここに示したような瀬戸物が多様に使われていた(図4)。
図3 瀬戸物のテーブルタップ
図4 瀬戸物の電球ソケット

 爆撃機から無数にばら撒かれて日本中を焦土と化した焼夷弾は鉄製である。記録によれば一発に38本の筒が束ねられ、爆撃機は1機当たり1520本の焼夷弾が搭載されていたとのこと。東京大空襲の際にマリアナ群島から飛来した爆撃機は300機を超えるものであったから、日本全土に降り注いだ鉄の総量は膨大なものであったことであろう。

 日本国内では兵器の材料の鉄が不足し瀬戸物の代用品が使われていた時代に空からは鉄の筒が無数に降り注いだのだから国力と資源の差を身に沁みて感じたものであった。

 音響研究に直接関係する機器ではないが、物理実験にはなくてはならない電源供給器具として見落とすことの出来ないテーブルタップを取り上げて、太平洋戦争末期の日本の窮状をしのんだ次第である。

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